「BREITLING DC-3 JAPAN TOUR」
★RED BULL AIR RACE in CHIBA
 6月3日、4日に、千葉市幕張で開催された「レッドブル・エアレース」に、ブライトリングDC-3はサイドアクト・パフォーマーとして招待された。両日ともレースコース上空をローパスし、観客を沸かせた。3日はレース会場のスカイラウンジ(ブライトリング・ジャパンのご招待)から、4日にはレース用エアポートがある浦安市総合公園のパブリックビューイング会場の大スクリーンで、僕はブライトリングDC-3のデモフライトを見守った。 
   
「レッドブル・エアレース」のサイドアクト・パフォーマーとして飛んだブライトリングDC-3

★JAPAN TOUR LAST DAY in OBIHIRO

 ブライトリングDC-3のジャパンツアーにおける、レクチャラーとしての僕の仕事は福島のイベントで終わった。翌日に東京で予定が控えていたので、あの日はクルーやスタッフへの挨拶もそこそこに、あわただしく福島空港を後にし、郡山駅から新幹線で帰京した。まだちゃんとサヨナラを言っていないのが気がかりだった。ジャパンツアーを終えたブライトリングDC-3は、次の目的地アメリカへ向けての太平洋横断飛行で、まず帯広からアリューシャン列島のシェミアを目指す。そこで帯広までDC-3を見送りに行くことにした。幸いJAL577便・羽田~とかち帯広空港のチケットが取れたし、帯広でクルーが滞在するホテルの予約も取れた。
 6月5日14:45とかち帯広空港到着。ブライトリング・ジャパンの青木慎五さんと合流する。青木さんはジャパンツアーの運航オペレーターだ。朝から空港で待っていたとのこと。と言うのも、DC-3の帯広出発予定が、不確実だったのだ。もともと6日午後の出発予定だったが、アリューシャンまでの気象条件が厳しく、出発を5日に繰り上げることも検討されていた。5日の出発に備えて、青木さんは先乗りしていたのだ。シェミアまでの飛行は、世界一周飛行の中でも最大の難所で、キャビンの補助燃料タンクも満タンにして、ぎりぎりの飛行時間だから、成否は気象条件に大きく左右される。青木さんと一緒に、クルーのサポートということで、空港事務所から制限区域への立入り許可をもらう。とかち帯広空港では、これだけの大型機(しかもクラシック機)を外来機として迎えるのは、初めてとのことだった。空港事務所も、JAL、ANA(AIR DO)のスタッフも、興味津々でとても親切だった。
 結局6日夕方の出発と決まり、DC-3は午前中に富士山を背景にしたビデオ撮影を終えて、16時過ぎに仙台空港からとかち帯広空港に飛来した。僕はグッドタイミングで間に合ったことになる。ランプで待っていると、フランシスコ機長、ラファエル、ポール、徳永さん、志太さんが降り立った。熊本でのイベントの後、一時アメリカに帰国していたポール・ベイズレーが加わり、パイロット3人体制で太平洋横断飛行に臨むのだ。ポールはメカニックも兼ねるから、ジェラールはスイスに帰国した。
 着陸後の点検を終え、補助燃料タンク(ブラダータンク)に給油を始めたところで問題発生。タンクからのリークが発見されたのだ。補助燃料タンクは命綱だ。ここから青木さんの大奮闘が始まった。ポールの指示を受け、燃料タンクメーカー指定の接着剤を探す。ところが帯広中の店を当たっても、指定の接着剤が無いのだ。とりあえず手に入るだけの種類の接着剤を購入したが、安全のためにはメーカー指定のものが必要だ。夕食の間も、青木さんは電話を手放さない。あちらこちらに問い合わせた結果、札幌の東急ハンズにあるという。明日札幌から届けてもらうことになった。しかし出発までに、接着剤が乾くかが課題だ。
日本最後の寄港地とかち帯広空港 補助燃料タンクへの給油は1,200リットルを超えた。
 6日朝。朝食の席は、接着剤入手の件と、シェミアまでの気象状況の話で持ち切り。フライトクルーは世界の気象情報のアプリをチェックし続けている。気象条件が好転する兆しはなかなか見えない。一時は予定を大幅に延期して、天候待ちで日本にもう2、3週間滞在しようか(公式日程は何もないが)という、極端なプランも検討されたという(どこに駐機するかが問題だが)。また帯広を出発して、ポイント・オブ・ノーリターンの手前で飛行を断念するケースも検討された。その場合、とかち帯広空港は時間的にクローズしていて着陸できないから、24時間運用の新千歳空港へ向かわなければならない。そのためにはリザーブの燃料も必要だ。天候をキーに、さまざまな検討が行なわれた。もちろん補助燃料タンクは、重要な要素だ。ブライトリングDC-3の航続時間は最大8時間。天候(特に風向き)によっては6時間くらいになる。帯広からシェミアまでの飛行予定時間は、現在のところ9時間46分。補助燃料タンクが不可欠だ。
 ポールは機体点検と、タンク修理の準備のため、午前中に空港へ。フランシスコとラファエルは待機して、部屋で気象アプリをチェック。青木さんは札幌からの接着剤の到着待ちだ。
 13時過ぎ、今日の出発を決断したクルーと空港へ向かう。
 16時には釧路からCIQの係官がやって来て検査。燃料のタンクローリーもすでにスタンバイ。補助燃料タンクの修理も終わった。補助燃料タンクへの追加給油は、1,200リットルを超えた。給油を担当したYSヤマショウのベテランフュエルマンも、キャビン内のブラダータンクへの給油は初めてとのことで、興味深そうだった。幸い修理した補助燃料タンクからのリークはないようだ。出発準備は整った。
 一応19時過ぎにテイクオフと決まったが、フライトクルーは気象アプリをチェックし続けている。目的地シェミア周辺の気象は、遅くなるほど少しは良くなりそうだ。クルーとしては30分でも出発を遅らせたい気持ちのようだ。しかし基本的にはリラックスした様子で、パイロット3人で自撮りなんかしている。これから最大の難コースに挑むとは思えない平常心に驚く。次第にDC-3が夕日に染まって行く。北国の青空の下のDC-3も、夕日に輝くDC-3も美しかった。クルー、スタッフで最後の集合写真を撮り、僕も乗降ステップでお決まりのポーズをとり最後の記念撮影。
とかち帯広空港で、クルー、スタッフ最後の集合写真 乗降ステップで最後のポージング
 空港のランプ作業ではJALスタッフにお世話になった。JALエンジニアリング帯広空港整備事業所の知野憲一さんが、趣味で手作りしているという、アクリルの台に載せた小さな折り鶴をプレゼントしてくれた。DC-3のコクピットにも飾った。この折り鶴が、安全なフライトの守り神になってくれることを祈る。
 とかち帯広空港発の最終便、JAL576が薄暮の中到着した。19時過ぎDC-3のエンジンスタート。排気管から白煙を噴き、ハミルトン・スタンダードの3翅プロペラが、ゆっくりと回り出す。ランナップ。P&W R1830ツインワスプ・エンジンが咆哮する。パワーが上がる。回転するプロペラが雷光のような光を放つ。これが日本でのブライトリングDC-3の、エンジンサウンドの聴き納め、機体の見納めだ。

最後のフライトに向けた力強いエンジン・ランナップ
 ゆっくりとランプアウト。ランウェイへ向かうDC-3を、JALの空港スタッフの女性たちが両手にライトスティックを持って見送ってくれた。みるみる陽が傾いて行く。昼間から見えていた月の姿が、次第にくっきりとして来る。テイクオフランが始まった頃には、空港には夜の帳が降り始めていた。その夜に向かって、ブライトリングDC-3は北東の空へ光の点となって消えて行った。テイクオフは19:30だった。
 こうして、ブライトリングDC-3のジャパンツアーは終わった。3月にジュネーブで開幕した、僕にとっての楽しい祭りも、この日とかち帯広空港で終幕を迎えた。DC-3を見送った僕たち日本側スタッフは、急いでカウンターへ向かい、20:15発の東京行き最終便JAL576にチェックインした。
 一夜明けて、6月7日朝、SNSを通じて第1報が届いた。DC-3は無事シェミアに到着したとのことだった。シェミア近くで少しホールディングしたので、飛行時間は10時間1分だったという。シェミアで給油したDC-3は、コールドベイへ向かった。コールドベイからアンカレジへ。こうして世界一周飛行の次のステージ、アメリカツアーが始まった。

JALの空港スタッフがライトスティックを手に、見送ってくれた。 北東の空へDC-3の機影は消えて行った。