中村 浩美 Hiromi Nakamura
TRAVEL
NOV. <米空母「キティホーク」取材>
アメリカ海軍の空母「キティホーク」に、1週間にわたって乗艦し、取材してきた。厚木基地からC‐2Aグレイハウンドで2時間半飛行し、硫黄島の西海域で演習中の「キティホーク」に着艦。フックランディングを初体験した。それから1週間にわたって、フィリピン海の北方海域を遊弋しながら訓練 航海を続ける艦上で、取材を行なった。復路は、沖縄本島の西海域から、やはりC-2でカタパルト発艦(!)し、嘉手納基地へ。カタパルト発艦の体験は、衝撃的だった。かつて米空軍のF-15イーグルに、同乗取材した経験があるが、艦載機はまったく違う。改めて海軍/海兵隊のパイロットの凄さを実感!
第7艦隊戦闘部隊司令官ダグ・マックレイン少将、キティホーク艦長エド・マックナミー大佐、第5空母航空団司令官マイク・マクネリス大佐をはじめ、計50人の将兵にインタビューを敢行、空母「キティホーク」のフライトデッキ・オペレーション(飛行甲板運用)の全貌を取材することができた。これは、国際的に活躍する写真家・徳永克彦氏との共同取材で、その成果は2007年春に出版の予定。
僕がこの目で観た、F/A-18ホーネット、スーパーホーネットによる、フライトデッキ・オペレーションの一端をご覧ください。





<2006年> APR.~OCT.
WRITING Books & Article
国内の旅客輸送から、国産旅客機YS-11が引退することになり、その記念と惜別がきっかけとなって執筆の機会が与えられた。5月と6月を集中的に執筆に当て、祥伝社新書から『YS-11 世界を翔けた日本の翼』、朝日新聞社から『YS-11 栄光の翼』(アサヒDVDブック)を、8月と9月に相次いで出版することができた。また1年がかりで企画していた、小学館のフォト絵本『ひこうき』も、8月に出版された。いずれの著書も、畏友の写真家・青木勝氏との共同作業となった。



東京新聞/中日新聞の「自著を語る」の欄に、『YS-11 世界を翔けた日本の翼』について執筆。YS-11の主任設計者だった、故・木村秀政先生への惜別の想いが、僕にこの本を書かせたと思う。私淑していたその木村先生の想い出に、引退するYS-11への惜別の想いを重ねて綴った。



珍しい原稿も書いた。雑誌「ジャズ批評」の特集『私の好きな一枚のジャズ・レコード2006』。各界のジャズファン90人が、お気に入りのジャズ・レコードを紹介する企画で、僕は懐かしいスリー・ブラインド・マイス・レーベルの一枚について書いた。JTWOの仲間でもあるジャズ評論家の岩浪洋三さんの推薦で、場違いな誌面に執筆した次第。
TRAVEL<YS-11 LAST FLIGHT>
9月30日、日本航空機製造YS-11が国内の旅客輸送から引退した。初就航から41年目のことだった。自衛隊や海上保安庁では、YS-11はまだ活躍を続けるが、旅客を乗せて日本の空を飛ぶことはもうない。その引退に先立って、4月30日に離島線定期便のラストフライトが行なわれた。日本エアコミューターの鹿児島~種子島線が、最後の離島線定期便となった。このフライトに鹿児島~種子島、種子島~鹿児島を完乗し、おまけに翌日には鹿児島~福岡もYS-11で飛んで別れを告げた。その搭乗記は、上記の2冊の著書『YS-11 栄光の翼』と『YS-11 世界を翔けた日本の翼』に収められた。
YS-11への惜別の想いに誘われて、青森出張の機会に、「みちのく北方漁船博物館」に保存され屋外展示されているJAS塗装のJA8809を見学(9月9日)。また埼玉県所沢市の「所沢航空発祥記念館」が保存している、エアーニッポン塗装のJA8732を、JTWO飛行機研究会の面々とともに訪ねた(9月21日)。これからも、各地に保存されているYS-11を訪ねる旅は続くことだろう。



今年の旅行は国内が多く、南から種子島、鹿児島、福岡、松山(2回)、伊方町、松江、岐阜、静岡、郡山、山形、青森(2回)、六ヶ所村、東通村、札幌(2回)、旭川の各地を訪れている。いずれも講演会やシンポジウムなどの出張ばかりだが、時間を見つけては景勝地や博物館・美術館などの文化施設を訪問している。特に印象的だったのは、島根県斐川町の荒神谷遺跡と、青森県立美術館の「シャガール・アレコとアメリカ亡命時代」展だった。
バレー「アレコ」の巨大な背景画4点が一堂に会した、シャガール展(うち3点は青森県の所蔵!)も素晴らしかったが、荒神谷遺跡はさらに興味深かった。青銅器文化の空白地帯といわれていた出雲で、358本という空前絶後の大量の銅剣が発見されたのがこの遺跡である。1984年のことだった。翌年にはそのすぐ横から、銅矛16本、銅鐸6個も発見されている。その出土状況を示す遺跡の光景はミステリアスで、古代史へのロマンをかきたててくれた。

STAGE <Lecture, Symposium & Talk Show>
夏休み恒例の「親子で学ぶサイエンススクール」を、7月30日に静岡市のグランシップ(主催・静岡県文化財団)で開催。今年はヒサ・クニヒコ氏を講師に迎えての、『恐竜のなぞと不思議』がテーマ。ヒサさんの軽妙なお話と、迫力あるイラストを、約500人の親子が楽しみながら勉強してくれた。
航空・宇宙関係のイベントでの登壇は、市民シンポジウム「羽田から東京が変わる!」(6月25日、主催・羽田跡地利用推進会議他)と、「飛び出せ!郡山から宇宙へ!~宇宙開拓の未来~」(10月1日、主催・郡山市、郡山市ふれあい科学館他)。郡山のイベントは、郡山市ふれあい科学館スペースパーク開館5周年記念事業のパネルディスカッション。名誉館長の松本零士、登山家の田部井淳子、レポーターの竹内海南江、JAXAの柳川孝二の各氏とともに、郡山の子どもたちに宇宙開発の夢を語った。

その他の講演会、シンポジウムは、いずれもエネルギー(特に原子力)と地球環境がテーマ。講演会は岐阜商工会議所婦人部会の招きで、「宇宙から考える地球環境とエネルギー」を講演(7月4日、岐阜市)。シンポジウム・討論会のテーマは、ほとんどが原子力発電のプルサーマル計画。愛媛県伊方町(6月4日、主催・経済産業省)、松山市(7月23日、主催・愛媛県)、島根県松江市(8月20日、主催・松江市)と続いた。その他のシンポジウム・フォーラムも、原子力を中心にしたエネルギーがテーマ。札幌市で「市民参加懇談会」(9月29日、主催・原子力委員会)、同じく「日本のエネルギー、これからの原子力」(10月11日、主催・ETT)。いずれもコーディネーターを務めた。
TV & Radio
浜尾朱美さんがキャスターを務める、神奈川テレビ(TVK)「ニッポン早わかり」に今期も出演(オンエア5月13日)。今回は、スタートしたばかりの第3期科学技術基本計画について解説。YS-11の引退関係では、RKB毎日ラジオ(9月26日)と、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」(9月30日)に出演。YS-11の位置づけや、日本の航空工業の現状について解説した。
キャスターとしては、青森テレビ制作の「中村浩美のエネルギッシュトーク」6本シリーズのうち3本を収録(オンエアはサイエンスチャンネルで来年から)。エネルギーと地球環境をテーマにした対談番組で、茅陽一東大名誉教授、内山洋司筑波大教授、田中知東大教授の各氏をゲストに迎えてトークを展開した。
<2006年> JAN.~MAR.
TRAVEL Hawaii (Feb.) <Sentimental Journey>
2006年のトピックは、まず1月から東京工業大学統合研究院の特任教授になったこと。ソリューション研究がテーマだが、まだ研究らしい研究はしていない。続いて2月には、ついに50歳代とお別れ。つまり還暦。そこで、久しぶりにハワイへ休暇旅行。マウイ島カアナパリに滞在。アクティビティは、ホエール・ウオッチングのみ。あとは終日プールサイドでの読書や、ビーチやホエラーズ・ヴィレッジ、ラハイナの街の散歩で過ごす。のんびりできたのは良かったけれど、やはり50歳代との別れが気になって、結局はセンチメンタル・ジャーニーになってしまった。
レトロなエアライン・ポスターを入手できたのが、旅の収穫。でも、もちろんリプリント。オリジナルは、例えばベルナール・ヴィルモ作のエールフランスのポスター(1950年代)など1,000ドルもするので、とても手が出なかった。

WRITING Article & Interview
元日付けの北海道新聞別刷りに、「頼れる北のローカル便拠点」を執筆。札幌の丘珠空港が就航50周年を迎えた特集の巻頭記事となった。インタビューのテーマは、話題の民間宇宙旅行商品以外には、やはりJALやスカイマークの整備ミス関係が多く、読売新聞や日刊ゲンダイにコメントが多数掲載された。


STAGE Lecture,Symposium & Talk Show
2005年後半のシンポジウムや講演会は、バラエティに富んだテーマだったけれど、2006年はエネルギー関係一色で始まった。わが国のエネルギー政策の柱である、核燃料サイクル・プルサーマル計画が重要な時期にあるため、原子力関係の依頼が多い。1月は松山市で資源エネルギー庁主催の「エネルギー講演会」、2月は山口市でシンポジウム「エネルギーの未来を考える」(主催・ETT)、秋田市で「環境・エネルギー・フォーラム」(主催・東北電力)に登壇。3月は姫路市で「21世紀の放射線利用について」(主催・原子力委員会市民参加懇談会)、岩手県の久慈市と宮古市で「再処理工場説明会」(主催・日本原燃)。いずれも討論、質疑のコーディネーターを務めた。
TV
3月16日に、新しい北九州空港がオープンし、これに合わせて新規参入エアライン、スターフライヤーがデビューした。ボディをブラックで塗装するなど、デザインを重視した統一コンセプトを全面に出した、ユニークな登場となった。
TBSテレビの「イブニング・ファイブ」の特集『スターフライヤー初就航!』に出演。新規参入エアラインの今後や、北九州空港についてコメントした。

<2005年の活動> SEP.~DEC.
WRITING Article

11月に出版された枻(エイ)出版社の「レトロエアライン デザインブック」に、『エアラインのデザイン学』を執筆。エールフランスをサンプルに、「デザイン」という視点で、エアラインの変遷を読み解いたもの。エアラインのロゴは、代表的なブランド・デザインだ。またエアラインのフリートは、それ自体が設計思想を具現した商品であり、そのカラーリングはビルボードであり、コーポレート・アイデンティティのシンボルでもある。デザインをキーワードにした、新機軸の論考と自負している。
STAGE Lecture,Symposium & Talk Show



2005年秋は、いつもとは違うテーマや形式のシンポジウム等に登壇でき、印象深いものとなった。まず10月15日に東大武田ホールで開かれた「技術の安全を考える」シンポ。これは東京大学と原子力安全基盤機構が主催した、「科学技術と社会安全の関係を考える市民講座」の第1回。航空と宇宙開発をテーマに講演した後、近藤駿介氏、田原総一朗氏とパネル討論。次に10月27日に日本病院管理学会学術総会に招かれ、学術シンポジウム「病院サービスにおける信頼と保証」で、『快適・安全な空の旅を保証する仕組み』と題して講演。その後パネル討論にも参加。11月27日にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の「宇宙開発品質保証シンポジウム」で、パネル討論『宇宙開発現場の信頼性確保の現状と問題点』のコーディネーターを務めた。いきなり「日本の宇宙開発は国民的コンセンサスを得ているのか?」と問いかけ、白熱した議論になった。
講演会は10月20日の札幌、29日静岡、11月14日東京本所、17日東京向島。テーマはいずれも『宇宙から考える、地球環境とエネルギー』。
シンポジウムと討論会は、すべて原子力やプルサーマル計画がテーマで、9月26日福岡、10月5日御前崎(主催・原子力委員会市民参加懇談会)、10月2日佐賀県玄海町、12月4日愛媛県伊方町(主催・資源エネルギー庁)、12月8日函館市(主催・ETT)、12月25日佐賀県唐津市(主催・佐賀県)で、いずれもコーディネーターを務めた。
11月23日には仙台市で、『今日は宇宙から地球のことを考えてみよう』をテーマに、「親子で学ぶサイエンススクール」を開催、続いて同日に「レディ―ス・エネルギーフォーラム」で、医学博士の海原純子さん等と、パネル討論「地球のストレスと私たちの暮らし」に出席(主催はいずれもETT)。年末のスペシャルイベントは、12月3日に東京の有楽町朝日ホール(マリオン)で開催された「電気のふるさとファミリーフォーラム」(主催・首都圏エネルギー懇談会)。テレビアニメの人気キャラクター「忍たま乱太郎」のステージショーを間に挟んで、「エネルギーなるほど教室」と「親子で考えよう電気なるほどクイズ」で講師を務める。東京の電気のふるさと新潟県、福島県の親子と、消費地東京の親子が楽しく交流するイベントとなった。
TV
久々で本格的にテレビ番組に取り組んだのが、TBSの2時間番組「スーパーフライデー」。11月18日オンエア(2006年2月12日再放送)。『ザ・航空パニック 高度10000mの恐怖!』というスペシャル。世界各地で発生した信じられないような航空事故、トラブルの数々を、再現ドラマ化したもの。奇跡の生還を果たした例も、悲惨な結果に終った事例もある。この番組全体の監修と、スタジオに出演して解説を担当。幸い高視聴率を得ることができた。
JAN.~AUG.
TRAVEL Part Ⅱ U.S.A. (July) <幻のSTS-114打ち上げ視察>


野口聡一宇宙飛行士が搭乗する、スペースシャトルの飛行再開(Return to Flight)STS-114の打ち上げを生で観ようと、7月10日勇躍アメリカへ向かった。野口さんとの親交は、彼が宇宙飛行士の最終選考に残ったころに始まり、その後、子供向けのイベントなどでもご一緒してきたから、初飛行にはぜひ立ち会いたいと思っていた。11日にNASAの招きでKSC(ケネディ宇宙センター)視察、12日にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)主催のレセプションに出席、当日の13日(米東部時間)は、打ち上げ予定時刻の4時間前にKSCに入った。しかし、2時間20分ほど前に、燃料タンクのセンサーの不具合から、打ち上げ延期が伝えられた。その後3日待ったけれど、打ち上げ日が確定しなかったので、打ち上げ視察を断念、むなしく帰国した。
現地まで行って打ち上げを観られなかったのは初めてのことで、とても残念だった。しかしレセプションなどで土井隆雄、向井千秋両宇宙飛行士と、久しぶりに歓談する時間が持てたのは良かった。さらに、「チャレンジャー」号の事故で星になった、エリソン・オニヅカ 宇宙飛行士のローナ夫人とお嬢さんに再会できたのが嬉しかった。実に22年ぶりの再会だ。1983年にオニヅカ・ファミリーは、たった一度だけ来日したことがある。鬼塚家の先祖は九州の出身だ。その墓参りに僕も同行したのだった。オニヅカさんと僕は同年の生まれでもあり、親しくさせていただいた。福岡滞在中に彼の誕生日を祝ったことも、懐かしく思い出す。22年ぶりで会ったローナ夫人は、2人の孫のおばあちゃんになっていた。
FRANCE(June)<Paris Air Show>
ライト兄弟の故郷、オハイオ州デイトンでは、初飛行100周年を記念して大規模な航空ショーが、開催された。パイオニア時代や第一次大戦当時の復元機から、最新鋭の最高軍事機密であるステルス機(レーダーに探知されない、いわゆる見えない飛行機)まで約100機が、飛行展示、地上展示された。
下の写真左は、デモ飛行するライトB型の復元機。モデルBは、ライト兄弟が1910年に完成させた、初めての量産型機だった。右は、ショー会場をフライパスするステルス爆撃機ノースロップ・グラマンB‐2A。1999年のユーゴ空爆(コソボ紛争)における花形兵器だ。その特異な機影に、ライト兄弟に始まる航空技術史のひとつの到達点を見た。
ENOLA GAY <原爆投下B‐29爆撃機の展示>
46回目を迎えた「パリ航空ショー」。今回の焦点は、オール・ダブルデッカーの巨人旅客機エアバスA380のショーデビュー。異様なほど太い胴体と大きな主翼が印象的。連日のデモ飛行は、なぜか車輪を出したままで行われた。太い胴体の割には全長が短いのも印象的だった。
前回03年のショーは、イラク戦争をめぐる米仏の対立が背景にあり、アメリカは軍用機のデモ飛行を自粛したので、盛り上がりに欠けた。一転して今回は、米・欧・ロの先進戦闘機が揃ってデモンストレーションを披露した。F/A-18スーパーホーネット、ダッソー・ラファール、ユーロファイター・タイフーン、スホーイSu-27の揃い踏みは迫力満点。


WRITING Article & Interview
2月末に出版された、ムック『ミニチュア・エアライン』〈ほしい旅客機はココから探す!〉(枻出版社)に、「エアラインの流行通信:時代を映すカラーリング」を執筆。世界のエアラインのダイキャストモデルを1000機以上網羅した、楽しいガイドブックです。
僕の原稿は、カラーリング(彩色)とかマーキング(標章)とか呼ばれる、旅客機のペイント(塗装)デザインの変遷を綴ったもの。エアラインの黎明期から21世紀まで、それぞれの時代の流れや文化の傾向などを反映して、デザインは進化してきている。そのトレンドを分析してみました。




『CIAC REPORT』(中部産業活性化センター)の1月号に「中国のエネルギー事情と日本」、3月号に「6パーセント削減の重さ(京都議定書発効を受けて)」を執筆。これで2年間連載した「サイエンスフロンティア」が終了しました。
小学館『DIME』の増刊(2005/1/1号、発行は2004年秋)『ハイスペックDIME』で、座談会「ビジネスクラス乗り味No.1はどこだ!」に、自動車評論家の佐藤久美さん、トラベルライターの緒方信一郎氏と出席。
エアライン各社のビジネスクラスを俎上に、大いに語り合いました。執筆以外にこんなこともやっています。
「北海道エコ・コミュニケーション専門学校」(恵庭市)が、06年に観光サービス学科を開設するにあたり、SEO(特別教育アドバイザー)なるものに就任したので、同校の機関誌からインタビューを受けました。そこで観光業界を目指す若者たちに、エールを送った次第です。雑誌「AB-ROAD」9月号『エアライン・ランキング2005』特集にもインタビュー記事が載りました。テーマはエアラインを選ぶときのコツ!




TRAVEL Part Ⅰ U.S.A. (May~June) <アメリカへ渡ったコンコルドを訪ねて>
世界で唯一の実用超音速旅客機コンコルドは、2003年に引退した。英仏の航空技術者が当時の最新技術を傾注したコンコルドは、各地の博物館でその余生を送っている。そのうちの2機は、航空王国アメリカの博物館に納められた。エールフランスのF-BVFAが、03年にワシントン・ダレス空港に隣接して開館した国立航空宇宙博物館の別館(Steven F.Udvar-Hazy Center)に、英国航空のG-BOADが、ニューヨークのハドソン川に浮かぶ空母博物館イントレピッドの横に舫われた、リトルレイク号の船上に展示されている。


FRANCE(June)<パリのパサージュ散策>


パリ滞在中の僕の定番はパサージュの散策。18世紀末に出現したガラス屋根のアーケード、パサージュやギャルリーの探訪は愉しい。2年前は駆け足で12箇所を巡った。今回はこれまで訪れていなかった12箇所と、前回気に入った4箇所を散策。これで現在パリに残るパサージュとギャルリーのすべてを探索したことになるはずだ。18、19世紀の面影を残す所も、ファッショナブルなブティックが並ぶ現代的な所もあって興味深い。中国系、インド系あるいはアフリカ系の人々が住むエリアのパサージュは、庶民的で生活に密着している印象。一方、パレ・ロワイヤルやグラン・ブールバールに近いパサージュやギャルリーは、お洒落な雰囲気だし、文化的な伝統を感じさせるお店も多く、カフェでの一服も愉しい。また名前が残るだけで、すでにパサージュとして機能していない所や、改装中の所も幾つかあった。パサージュ・デ・パノラマの切手商「Marigny Philatelie」で、飛行機が描かれた新旧の切手を買えたのも収穫だった。
U.S.A.(June)<ニューヨークのアールデコ建築>
5月から6月にかけてのアメリカ取材は、コンチネンタル航空の協力で実現した。NASAや博物館の取材を終えた後のニューヨークの休日の愉しみは、ブロードウェイ・ミュージカル鑑賞(今回は「マンマ・ミア!」「レント」「ムービング・アウト」)と、摩天楼建築を見て歩くこと。今回の摩天楼探訪のテーマは「アール・デコ」。 有名なクライスラー・ビル(1930年完成)、エンパイア・ステート・ビル(1931年)、ロックフェラー・センター(1933年)のRCAビル(現GEビル)は勿論のこと、今回はチャニン・ビル(1929年)に注目。外部壁面の花模様や魚、鳥などのユニークなレリーフを、たんねんに観察した。エントランス内部壁面の、典型的なアール・デコ装飾も面白かった。エレベーターホールも興味深かったのだけれど、屈強なガードマンに撮影を禁止されたのが残念。その点、クライスラーやエンパイア・ステートでは、エントランスやホール内部の写真撮影がOKなのが嬉しい。また今回は宿泊も、アール・デコを装飾や広告のモチーフにしている、ミレニアム・ブロードウェイ・ホテルに徹底してみた。



STAGE Lecture,Symposium & Talk Show
2005年の講演会は、1月25日の山口市から始まった(主催・山口ひとづくり財団)。演題は『宇宙から考える地球環境とエネルギー』。2月5日には、電力の生産地と消費地の小学生を対象にした総合エネルギー塾(東京)で、『宇宙から考えよう、地球・エネルギー・私たちの暮らし』と題して講義(主催・資源エネルギー庁)。2月10日には練馬区立高松小学校で、教師とPTAを対象に『宇宙から考えよう!地球・環境・エネルギー』の演題で講演(主催・東京練馬西ロータリークラブ)。2月28日には三重県朝日町(主催・朝日町)で、3月1日には岐阜県恵那市(主催・恵那市)で、職員、教師、議員を対象に『宇宙から考える地球環境とエネルギー』を講演。同じテーマで8月1日には岡山市で講演(主催・岡山県庁他)。5月10日には大阪のエレの会総会で「くらしの夢と科学を語る」と題して講演。最先端の日本の科学技術について、お話しました。
シンポジウムでは、PD(パネルディスカッション)などのコーディネ―ターとしての登壇が多く、1月27、28日には八戸市、弘前市、青森市で、「リサイクル備蓄センター説明会」(主催・東京電力)の質疑応答をコーディネ-ト。2月7日に大分市で、シンポジウム「環境の時代における私たちの暮らしとエネルギー」(主催・ETT:フォーラム・エネルギーを考える、大分合同新聞社)、9日に仙台市で、シンポジウム「忍び寄るエネルギー危機、求められる地球温暖化防止対策」(主催・ETT、河北新聞社)のコーディネ―ター。また2月8日に唐津市で、3月19日に佐賀市で開催された、資源エネルギー庁主催のエネルギー講演会シリーズ「考えよう、日本のエネルギー」でも、PDのコーディネ―ターを務めた。各地でのPDでは、神津十月(カンナ)さん、中上英俊氏、福島敦子さん、安藤和津さん、野口哲男参事官、木元教子さん、茅陽一先生などとご一緒できたのが楽しく、また勉強にもなりました。
ところで、佐賀市での講演会の翌日、福岡であの福岡県西方沖地震に遭遇しました。ホテルの部屋のテレビが台から飛びましたが、幸いコーヒーを飲もうとロビーに降りたところだったので、被害はありませんでした。震度6弱の地震はもちろん初体験。本当に怖かったです。博多駅前や天神の騒然とした雰囲気は、忘れることができません。被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。



ちょっと異質だったのが6月20日の講演。神津十月さんが主宰する3A(Author,Artist,Athlete)の会で、カンナさん、高見恭子さん、日本画家の川崎麻児さん、ピアニストの三舩優子さん、マラソンの有森裕子さん、山下佐知子さんに、得意の演題『宇宙から考えよう、地球・環境・エネルギー』をレクチュア。終了後の会食・宴会が楽しかったです。
夏休み恒例となった静岡市グランシップでの『親子で学ぶサイエンススクール』。今年は7月24日に、気象予報士、お天気キャスターの森田正光さんをゲスト講師に迎え、「森田さんのお天気の科学」と題して開催しました。会場は満員の盛況でした。森田さんのおかげです。
昨年に続いて『高校生エネルギークイズ大会』(主催:日本立地センター)のチャンピオン大会・交流会に、講師として参加。昨年は東京の「日本科学未来館」で。今年は「愛・地球博」会場で8月20日に開催。全国の高校生諸君と、日本のエネルギー、地球環境問題について語り合いました。また交流会ディベートの優秀者に「中村浩美賞」を贈りました。


TV & Radio
テレビの仕事もたまにはやっています。テレビ神奈川、東京MXテレビ、千葉テレビ他の『ニッポン早わかり』(キャスターは浜尾朱美さん)にゲスト出演。テーマは「安全・快適な空の旅」。コメンテイターとしては、中部日本放送のニュース、TBSの『ニュース23』でセントレア(中部国際空港)について、フジテレビ『スピーク』でH-ⅡAロケットについて、日本テレビ『まさかのミステリー』でスホーイSu-27戦闘機についてコメント。またコミュニティチャンネル(JCOM)の『パブリックタイム』で、高松小学校における講演を収録、放送しました(オンエアは4月にケーブルテレビで)。
春以降、航空、宇宙関係のトラブルやニュースが少なくなかったので、そのたびにコメントを求められました。JAL機の一連のトラブルについては、テレビ朝日『スーパーモーニング』、テレビ東京『NEWSアイ』、NHKラジオ『あさいちばん』で、ANA系のDHC-8のトラブルでは、高知さんさんテレビのニュースでコメント。日本テレビの『きょうの出来事』では、ほりえもんの宇宙ビジネスについて、テレビ朝日の『ワイドスクランブル』では、スペースシャトルSTS-114についてコメントしています。
楽しかったのは、JFN系全国28局ネットのFMラジオ番組『プラネット・ヴォイス』。ナビゲーターは早見優さん。宇宙をテーマに、1時間にわたって優さんと楽しいトークを展開しました(オンエアは8月13日)。事故やトラブルの解説よりも、科学技術の可能性や夢を語るほうが、やはり充実感がありますね。
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