峰村均/文・写真
ベラット(アルバニア)
6月25日(火)
バルカンツアー4つ目の世界遺産ベラット
北マケドニアのリゾート地オフリドを出て、国境を越え、アルバニア中南部の世界遺産都市ベラットヘ。ベラットはオスマン帝国時代の歴史的な街並みが残り、2005年に世界遺産登録された「ジロカストラの博物館都市」を拡大登録する形で、2008年に世界遺産に登録されている。
そもそもアルバニアとは
アルバニアは今回のバルカン半島4カ国取材において、唯一旧ユーゴスラビアの構成国ではなかった国。ユーゴスラビアに住む南スラブ人は6世紀に南下してきたスラブ民族が起源だが、アルバニア人はそれより前からバルカン半島に広く住んでいたイリュリア人の末裔といわれている。国土は南北340km、東西の最大幅150kmの細長い国で、面積は28,748㎢。日本の岩手県と福島県を合わせたぐらいの広さだ。海岸沿いの平野のほかは起伏に富む山地で、国土の7割が標高300m以上である。
歴史的には、アルバニアは4世紀末にビザンティン帝国、15世紀から20世紀まで以降オスマン帝国の支配下にあって、オスマン帝国から1912年に独立を宣言。1920年にイタリア軍に占領されたが、1944年にソ連によって解放され、社会主義国家の一員となった。しかし、共産主義の考え方の違いにより、1948年にユーゴスラビアと、1961年にソ連と断交、唯一の友好国だった中国とも1978年に断交して、ほぼ鎖国状態となっていた。1990年に東欧が民主化されたの時を同じくして開放路線に転じ、1991年の新憲法で社会主義と決別した。日本とは1922年外交関係が結ばれたが、1939年イタリア併合により断絶、第二次世界大戦後、1981年に国交が再開された。
ベラット城
ベラットは、街の中央をオスム川が流れ、川を挟むような形で山(丘)があって、東側のトモル山の山頂にはベラット城址がある。ベラット城は、紀元前4世紀に古代イリュリア人が築いた砦を起源として、ローマ帝国時代に城壁が強化され、13世紀のビザンツ帝国時代に城壁内に人が住む城塞となった。現在は観光地として、土産物店やオヌフリ・イコン博物館、展望台などが人気となっている。オフヌリ・イコン博物館は18世紀に再建されたかつてのアルバニア正教会の「生神女就寝教会」(カトリックにおける「聖母マリア被昇天教会」に相当する)の建物を利用した博物館で、16世紀に活躍したアルバニアを代表するイコン画家オヌフリ親子の作品を収蔵している。かつての教会建物を博物館にしているので、観光客のみならず、教会の信者すら通常は立ち入りが禁止されているイコノスタシス(聖障=イコンが掲げられた衝立)の奥まで見学できて、大変興味深かった。展示物も数多くあったが、写真撮影が禁止されていて残念だった。ところが、トリップアドバイザーの投稿には、数多くの写真がアップされているではないか。このオヌフリのイコンやイコノスタシスの奥をご覧になりたい方は、トリップアドバイザーのサイトで「National Iconographic Museum Onufri」と検索してみることをおすすめしておく。
ベラット城内の一番奥、切り立った崖の上に展望台がある。ここからはベラットの街並みや、オスム川と向かいの丘が一望できて、川沿いに建つ伝統的家屋群もよく見える。トモル山および対岸の丘に、斜面にはりつくように、伝統的家屋が建てられている。赤い屋根、白い壁に同じ形をした窓がいくつも並ぶ景観が「千の窓の町」の異名を持ち、この街の最大の売り物となっている。この街独特の家屋は、1851年の大地震で街のほとんどの建物が倒壊した後の復興において耐震を最優先して設計されたもので、1階部分は安定した石造り、2階以上を軽量かつ揺れに柔軟に対応できる木造建築を採用したため、上層階の木造化で大きな窓をいくつも設けることが可能となった。実際に窓の数が1000あるわけではない。よく見るベラットの写真は、オスム川の西側からベラット城のある側の旧市街を撮影したもので、ひとつの建物の2階に窓が4つ5つ付けられているのを見て取れる。
アルバニアは、世界遺産登録前から、ベラットとジロカストラを博物館都市として指定し、保護してきた。この「千の窓」の景観は、オスム川の両側にあるので、展望台から、あるいは川辺から眺めることができる。
この地域を俯瞰している動画を見つけたので、ご紹介しておく。
6月26日(水)
ベラット2日目
午前中は前日に続き、ベラット市内を歩く。旧市街の中心部は、カラヤ地区(城がある丘の上)、マンガレミ地区(ベラット城の麓に広がる街並み)、ゴリツァ地区(オスム川の左岸・展望台から見おろした街並み)の3つのエリアから構成されている。
旧市街マンガレミ地区には、オスマン帝国時代に建てられた王のモスクや、中庭の向かいに建つハルヴェティ・テケ(イスラム神秘主義教団スーフィー教の一派ハルヴェティ教団の集会場)がある。また、隣接してキャラバンサライ(隊商宿)もあって、現在も宿泊施設として使用されている。中央アジアのウズベキスタンや旧ソ連のアゼルバイジャン、そして今回のバルカンツアーの北マケドニア・スコピエでも見たキャラバンサライは、シルクロードのつながりを実感させるものだ。
その後オスム川に架かる吊り橋を渡り、伝統建築スタイル「クラ」の家並みが集まるゴリツア地区内を散策。斜面にはりつく千の窓の街並みの中にある細い路地を歩く。ゴリツァ地区の川辺からはマンガレミ地区の千の窓の街並みがよく見える。昨夜夜景を眺めた千の窓の街並みを陽光の下でもじっくり眺めることができた。
建物が密集していないところで、2階が張り出した様子がよくわかるホテルがあったので、ご覧いただく。ゴリツァ地区の細い路地は、風情があってそぞろ歩きにぴったりと言いたいところだが、傾斜が結構急なので、暑いさなかに歩くと体力を削られる。
ベラット市内には、ほかにも聖ビトリ大聖堂や鉛のモスクなどがあって、ビザンツ帝国、ブルガリア帝国、セルビア王国などの支配を経て、15世紀半ばよりオスマン帝国の支配下におかれた歴史を実感する。
首都ティラナへ
次の目的地はアルバニアの首都ティラナ。急速に発展する街は、至るところで建築工事が行われ、活気に溢れている。さらに、宿泊したホテルに隣接するスカンデルベグ広場では、ドイツで開催されているサッカーのUEFA EURO 2024のパブリックビューイングが行われ、深夜まで大変な賑わいであった。