ボスニア・ヘルツェゴビナ 2007年に文化遺産として登録
香高英明/文・写真
人間が橋にもつイメージは民族で共通している。橋は日常と非日常、異世界を結ぶものであり、橋を渡る時、出会いと別れのドラマが生まれる。
ボスニア&ヘルツェゴビナには2つの世界遺産がある。2005年に文化遺産に指定された「モスタル旧市街の古橋地区」、2007年には「ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋」が文化遺産となった。
ヴィシェグラードは狭い峡谷と谷間に開けた町で、そこには肥沃な土地が広がっている。首都サラエボから東に向かい約2時間、ドリナ川の右岸に位置している。そのドリナ川はボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア両国の国境に沿って流れ、途中でヴィシェグラードなどを通過する。
サラエボとイスタンブールを直接結ぶルート上にあるヴィシェグラードは戦略的にも経済的にも重要で、オスマン帝国により「ソコルル・メフメト・パシャ橋」が架けられた。ヴィシェグラード出身のノーベル賞作家アンドリッチの作品「ドリナの橋」の舞台となり、175mの長さを誇る。オスマン朝時代、トルコで史上最高の建築家と呼ばれたミマール・スィナンが設計し、16世紀に建てられた。第1次、第2次世界大戦で破壊されたが、その後修復され、建築技術の高さと美しいフォルムが高く評価されている。
エミール・クストリッツァはサラエボ出身の映画監督・音楽家・俳優、父はセルビア人、母はモスレム人であるが、本人は「ユーゴスラビア人」と称している。カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを2度、世界三大映画祭すべてで受賞している。
クストリッツァは作家イヴォ・アンドリッチの業績と人物に心服して「Andricgradプロジェクト」を立ち上げた。ヴィシェグラードの歴史と文化にちなんだ建築物の集合体、そして映画村としてアンドリッチタウンを創り始めた。
第一次大戦から100周年の2014年6月に公式オープンしたが、スラブ語研究や芸術・美術の新しい大学や劇場も計画され、多民族間が討議する基盤を創設するのだという。ドリナの橋や通称映画村アンドリッチタウンなどがあるヴィシュグラードは、コンパクトな町ながら今後観光客が増えるとみられている。そして、ヴィシュグラードの「ドリナの橋」は平和主義のシンボルとなっている。