ハバナ旧市街とその要塞群

キューバ 1982年に文化遺産として登録

八重野充弘/文・写真

 兼高かおる会長(当時)以下、日本旅行作家協会の仲間とともに、初めてキューバを訪問したのは、フィデル・カストロが弟のラウルに政権を移譲してわずか2週間後の2008年3月のこと。(これから少しずつ、キューバは変わっていくのだろう) そんな予感を抱きながら、首都ハバナを皮切りにおもな観光地を回ったが、世界遺産登録の場所も2か所含まれていた。
 その当時から、すでにキューバの外貨獲得源のトップは観光。2番目に中南米やアフリカの途上国での医療活動がランクされていて、砂糖やたばこの輸出に頼り切っていたかつての農業国の面影は薄れつつあった。観光客は年々急速に増え続け、とくに冬場には常夏のビーチリゾートに、カナダ人やフランスやロシアなどの欧州人が、陽光を求めてつめかける。もちろん、植民地時代の雰囲気を色濃く残す首都の市街地や地方都市も人気で、緩和政策のたまものか、観光客相手の商売も活発化している印象を受けた。

 それから6年後の2014年5月、再訪の機会を得ることができたが、キューバ各地の観光化に拍車がかかっているのを目の当たりにした。ハバナ旧市街(ハバナ・ビエハ)の古い建物が修復されているもようは6年前にも目撃したが、さらに力が入っているように感じた。国を挙げての取り組みなのだろう。旧市街の中心部に、建物の修覆を習得するための訓練所が設けられていて、若い人たちがベテランの職人から技術を学んでいる。一歩外へ出れば、そこには“現場”が待っているのだ。石造りの重厚さを感じる建物は、どれもデザインがすばらしく、なんともいえない趣がある。いつまでも大事にしてもらいたいものだ。今後修復が進めば、街全体がいっそうの輝きを取りもどすことだろう。
 スペイン統治時代、金銀宝石をはじめ、中南米の物産を本国へ向けて送り出したハバナ港の近くには、観光客相手の大型の民芸品販売所ができた。キューバ土産のたいていのものはここで手に入る。堅い木でできた大きなフォークとスプーンを購入した後、野球のボールを見つけ、日本円で400円ぐらいだったから買うことにした。すると、初老の店主が、木製のバットを持ってきて、さっさと包み始め、これも買えという。聞けば2000円くらいだ。荷物になるからいらないと言っても聞く耳を持たない。値段は一気に半分に下がった。ボールには何のマークも入っていないから、規格から外れたものだろう。バットはグリップに少しひびが入っている。素振りぐらいには使えそうだし、「まあいいか」と、結局は両方とも購入したが、その後の1週間はバットをかついでの旅行となった。あるところでは、現地の人に「あんたは野球選手か?」と尋ねられたので、「まあね」と、いい加減な返事をした。成田に着いたとき、スーツケースのほかに、バットが単品でベルトコンベアに載ってきたときは、思わず大笑い。(下段の写真は2014年撮影)

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八重野充弘