古代都市テオティワカン

メキシコ 1987年に文化遺産として登録  

中村浩美/文・写真

 テオティワカンは紀元前2~6世紀まで繁栄した、巨大な宗教都市遺跡。メキシコシティの北東約50㎞に位置する。テオティワカンとは「神々の都市」の意味で、12世紀ごろこの地にやって来たアステカ人が命名したものだ。太陽のピラミッド、月のピラミッド、死者の大通り、神殿、宮殿などの遺構がある。ここのピラミッドは墓ではなく、宗教的な祭殿だった。ピラミッドの頂上に、木造の祭殿があったという。世界遺産に登録されたのは1987年。
 テオティワカンを訪れたのは、1973年正月のことだった。大晦日の昼間はプラサ・メヒコで闘牛を観て、夜はソカロ広場、アラメダ公園へ繰り出して、メヒカーノと一緒に賑やかに年越しをした。そして1973年の元日、テオティワカンへ向かった。当時からテオティワカンは、ソチミルコと並んで、メキシコシティからのデイトリップの人気スポットだった。

 ただし世界遺産に登録される14年も前のこと、鄙びた観光地という印象だった。現在では駐車場から太陽のピラミッド、月のピラミッドへ向かうと、どちらにも土産物屋がずらりと軒を並べているが、当時はもっとのんびりしていた。店とも呼べないような掘っ立て小屋が数軒あるだけで、あまりやる気のなさそうなオジサンが店番をしていた。やる気満々なのは子供たちで、両手に発掘品のレプリカと称するモノや土産物を持って観光客にまとわりつく。ただしそんなにしつこくはなかった。ここは彼らの仕事場であると共に遊び場でもあるらしく、商売に飽きるとピラミッドや神殿を昇り降りしたり、座り込んで仲間たちと雑談している姿も見られた。現在では整然とし過ぎるほどに整備されているが、当時はあちこちに雑草がはびこっていたし、遺跡の底部輪郭線もあやふやだった。
 太陽のピラミッドは、底辺が222m×225m、高さ65mという巨大なもの。遠くからではそれほどの勾配とは思えなかったが、実際に中央の石段を登ってみると恐るべき斜度だった。手すりを頼りに喘ぎながら黙々と248段を登る。頂上に立つと、右手下に月のピラミッドが見える。こちらは少し小さくて底辺140m×150m、高さ47m。しかしその前の月の広場は、太陽の広場よりも広い。月のピラミッドから南北に、この古代都市を貫くのが4㎞に及ぶ死者の大通りだ。太陽のピラミッド前を通って、更に南へ延びている。その先に見えるのが、当時は発掘されて間がなかったケツアルコアトルの神殿。ケツアルコアトルは羽毛のある蛇の姿をした、アステカ人に恐れられ崇められた古代アステカの農業や文化の神だ。
 太陽のピラミッドを降りて、幅45mの死者の大通りを北へ、月のピラミッドへ向かう。正面の彼方に月のピラミッド、左右に宮殿や神殿跡が並ぶ、この1㎞ほどはなかなかの景観だ。月のピラミッド前の月の広場に面して左右に、ジャガーの宮殿などの宮殿跡が並ぶ。見事な遺跡群だ。今は石積みの部分が残るだけだが、その上に木造の壮麗な建物が建っていた姿を想像する。月のピラミッドの頂上に立つと、古代都市テオティワカンの規模と、都市設計の見事さを実感できる。当時は頂上まで登れたが、現在は遺跡保全のため4段の層のうち1段目の層までしか登れない。
 写真はすべて1973年1月1日の撮影。40年以上も経っているのでカラーポジフィルムの退色・劣化がひどく、すべてモノクロームに変換した。

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中村浩美