バルカン半島4カ国取材旅行(2)

峰村均/文・写真

プリズレン(コソボ)

6月22日(土)

コソボの首都は、昨日ターキッシュエアラインで降り立った空港を擁するプリシュティナだが、そこから移動してきたプリズレンは、オスマン帝国の建物が多く残る、歴史ある古都。この日は旧市街の散策からスタート。

シニア世代にとって世界遺産は観光には欠かせないものだが、2004年に登録された「コソボの中世建造物群」は、昨日見た「グラチャニツァ修道院」をはじめ、4つの建造物から構成されている。そのうちの「リェヴィシャの生神女(しょうしんじょ)教会」を朝イチで見に行った。生神女とは、正教(東方教会)における聖母マリアの呼び方。ここは12世紀のセルビア正教会の聖堂をビザンツ様式を取り入れて増築拡張した教会で、オスマン帝国支配下の時代にはモスクにも転用されていた。20世紀に再び教会に戻ったが、2004年3月の反セルビア人暴動で焼き討ちに遭い、修復されていないので内部観覧すら不可。壁の上の鉄条網が紛争の現実を今に伝える。

プリズレンの街は、ピストリッツァ川を挟んで、きょうのスタート地点リェヴィシャの生神女教会がある北側と旧市街の中心となる南側に広がっている。モスクやセルビア正教の教会、ハマム(イスラム圏の公衆浴場)、カトリック教会など多くの寺院・教会があって、見どころは尽きない。こういったさまざまな宗教施設が混在する街というのは、交易が盛んに行われてさまざまな民族が往き来し、なおかつ為政者が宗教に対して寛容でなければ成立しない。オスマン帝国の統治はその典型といえるが、私はジョージアの首都トビリシを思い出していた。あの街もシルクロードの要衝に位置し、さまざまな寺院・教会が建ち、イスラム王朝や遊牧民族の支配を受けた歴史をもつ。プリズレン旧市街の中心部でひときわ目立つのが、プリズレンで最も大きく美しいモスク、スイナン・パシャ・ジャーミア。青色のクーポラが目印。敷地内の裏手には土産物屋。趣ある民家が建ち並ぶ石畳の路地は土産物店や飲食店が軒を連ね、ぶらぶら歩くのが楽しい。

再建されたセルビア正教会の聖ゲオルゲ教会の前を通り、聖ニコラ大聖堂(聖母大聖堂)では内部も見学した。このカトリック教会、起源は5世紀に遡り、2019年から2021年にかけて行われた発掘調査で、現在の建物の基礎部分に12世紀の壁が存在していることが明らかになった。発掘された遺跡や作業の様子が展示されている。建物はロマネスク様式のファサード、初期ゴシック様式の側廊及び窓、いくつもの複合ドームを持つビザンツ様式の混合が見られ、その歴史の長さを物語る。外壁窓にはダビデの星が刻まれ、ユダヤ教徒も利用していたことがうかがえる。

※コソボ紛争は、ユーゴスラビア連邦セルビア共和国南部のコソボ自治州の独立を目ざすアルバニア系住民と、それを認めないセルビア当局の戦い。旧ユーゴスラビア連邦解体のきっかけになった。コソボでは1968年と81年に自治権拡大を求めるアルバニア人の暴動が起こり、89年にはセルビア当局による警察支配が強化され、アルバニア人側は独立宣言を発表した。1989年にソ連が崩壊し、東欧の政権が非共産化。1991年にクロアチアとスロベニアがユーゴスラビアから離脱した。コソボでは98年に武力衝突が激化し、2000人以上が死亡、30~40万人の避難民が発生して国際問題となった。99年3月には北大西洋条約機構(NATO)が空爆などの軍事介入に踏み切った。セルビア側は由緒あるセルビア正教の修道院のあるコソボを民族的聖地と考え、イスラム教徒主体のアルバニア人が人口構成上多数派を占めるため、相容れない宗教対立がモスクや教会への破壊行為を招いた。

この後のフリータイムで、川沿いのカフェで涼むメンバーが多いなか、私はスタート地点にリェヴィシャの生神女教会に近い考古学博物館を目指した。リェヴィシャの生神女教会の建物を上から眺められるとのことで、訪れてみたくなったのだ。炎天下を懸命に歩いたが、見つからない。そのうちにすれちがった近所の人や駐車場のおじさんが、お前が行きたいのはここだろうと指示してくれた建物に辿り着いた。ところが、どうも様子が違う。地図と照らし合わせて見ると、「プリズレン民族学博物館-シェザーデの家」というところらしい。昔の衣装や道具が展示されている。本来の目的であった考古学博物館を探す時間もなく、集合時間近くなって再びピストリッツァ川を渡り、旧市街中心部に戻ることに。

滞在中の気候と物価の話をしておく。ほぼ毎日晴天に恵まれ、気温は日中35度ぐらいまで上がった。ランチでも夕食でも、とりあえずビールという日が多かった。コソボは紛争からの復興の途上にあり、欧州銀行と正式な協定を結んでいるわけではないが、通貨はユーロが使用されている。食事で出てくるビールは、アルバニアから輸入されたものだ。そのビールが1杯2ユーロぐらい。日本円換算で350円程度。羽田からのフライトを乗り換えたイスタンブールの空港内の生ビールが15ユーロ(2500円)だったと小川会員がレポートしていたのと比べると、格安である。プリズレン市内のスーパーでは、もっと安く瓶ビールが買えたから、店が損しているわけではない。コソボでは総じて物価の安さを実感していた。

午後はコソボ中西部のデチャニ村にあるヴィソキ・デチャニ修道院を訪問。この修道院は、現在セルビア正教会総主教座が置かれているペヤの街の郊外、アルバニアとの国境近くに位置している。コソボ内の少数派セルビア人の居住地にある。この修道院も「コソボの中世建造物群」のひとつなので、4つあるコソボの世界遺産のうち3つを見学したことになる。中世以来セルビア人にとっての重要な巡礼教会のある聖地で、警備はコソボ治安維持部隊(KFOR=NATO軍)が担当して、ものものしい雰囲気だ。

1327年、セルビア王ステファン・ウロシュ3世デチャンスキが創建。ロマネスク様式で建てられ、増改築でビザンツ建築のドーム、初期ゴシック窓などが追加された折衷様式となった聖堂は、2種類の大理石がかもし出す荘厳な美しさが印象的だ。1335年の聖堂完成後、さらに15年の月日を要した聖堂内のフレスコ画がとくに有名で、約1,000点の肖像画などが残っている。また、建設途中にデチャンスキ王が亡くなってこの聖堂に石棺が安置され、病気を治すと伝わることから、各地から参拝者が集まる巡礼教会となった。聖堂内、天蓋、イコノスタシスのみならず天井、壁面に所狭しとぎっしり描かれたキリスト、生神女(聖母マリア)、十二使徒、聖人、新約聖書のエピソード、アダムとイプ、バベルの塔、ノアの方舟、セルビア王家ネマニッチ朝の系図など、フレスコ画の数、規模は圧巻である。現在30人の修道僧が共同生活を送っていて、修道僧たちが創っている蜂蜜やチーズ、修道院ビール、ワインなどを購入できる。