バルカン半島4カ国取材旅行(3)

宝迫典子/文・写真

スコピエ&ストビ遺跡(北マケドニア)

6月23日(日)

私的旅の動機とテーマ

ロシア語同時通訳でエッセイストだった故・米原万里さんが小学生の頃、ロシア少女が母国で買い求めてクラスメイトにふるまった自慢のお菓子ハルヴァに魅せられて、再びその味に出会うべく探求した日々を綴った「トルコの蜜飴の版図」(『旅行者の朝食』に所収)、このエッセイを読んだ時によぎったのはちょっと悔しい思いです。万里さんはお菓子の名前がわかっていたから再会できたのよねと。私にだって、カルチャーショックを受けるほど感動して忘れられないお菓子があります。学生の頃、ギリシャ・トルコ系の人々が暮らす街にある学校が開催するサマースクールの持ち寄りランチ会で誰かが持って来た郷土菓子をもう一度食べたい。でも、名も無き手作り菓子だったので探しようがありませんでした。バルカン半島旅行の案内メールを読んだ時にふっと思ったのです。もしかしたら、あのお菓子のルーツに出会えるかもしれないと。

エーゲ海沿岸バルカン半島に文化的影響を与えたであろうローマ帝国およびオスマン帝国由来の郷土菓子に出会う旅、この小さな私的テーマを胸にバルカン半島4ヶ国の旅に参加させていただきました。

マケドニア問題

今回ツアーで巡る4ヶ国のうち3ヶ国が元ユーゴスラヴィア社会主義連邦国でした。第二次世界大戦後、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」を1つにまとめユーゴスラヴィア社会主義連邦国家を打ち立てたカリスマ的指導者ヨシップ・ブロズ・チトーが1980年に死去すると、1991~2001年にかけてユーゴスラビア紛争が勃発、紆余曲折を経て現在、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、北マケドニア、スロベニア、モンテネグロ、コソボの7ヶ国に分裂しました。武力を放棄して比較的穏便に独立した北マケドニアも国名と国旗には涙を呑みました。当初マケドニア共和国を国名とし、国旗に古代マケドニアベルギナの星を掲げようとしたところ、歴史の簒奪であるとして、古代マケドニアに思い入れのあるギリシャやブルガリアが激しく反発したのです。

マケドニアは、バルカン半島中央部にある歴史的・地理的な地域を指します。無数の神話や伝説に彩られた不世出の英雄古代マケドニア王アレキサンダー3世の名と共に特別な意味合いを持つようになったのでした。

スコピエの老街(古い街並み)

午前中コソボとの国境を越えて北マケドニア人口の3分の1が集中する首都スコピエへ。バスが停車した場所で待つことしばし、坂の上から涼しげなワンピースの裾をなびかせて颯爽と下りてきたローカルガイド・マヤさんと合流して、最初の目的地であるスコピエのスタラ・チャルシヤ(オールドバザール)を散策しました。スタラ・チャルシヤは12世紀以来交易と商業の中心であり、オスマン帝国時代には急速な発展を遂げイスタンブール以外ではバルカン半島最大のバザールとなりました。1963年の地震でスコピエは大部分が瓦礫と化しましたが、スタラ・チャルシヤは大きな被害を免れ、オスマン時代からの区割り、幅の広い石畳の路地など往事の繁栄ぶりを今に伝えてくれます。1472年建造のキャラバンサライ(隊商宿)は中央アジアからイラン、トルコに通ずるシルクロードで見てきたものと造りが同じ、古の旅人たちがしばし歩みをとめた宿場での生活に興味が尽きません。ラクダやロバをつないで、近所のダウト・パシャ・アマム(1473年建造のトルコ公衆浴場)で旅の疲れをとって飲食街でお腹を満たしたのでしょう。現在は現代アートギャラリーになっているダウト・パシャ・アマム内の見学を希望するメンバーとフリータイムをとるメンバーに分かれた自由行動で、カフェ街をぶらぶらしていたら、もう少し先へと足を延ばしていたメンバーが「宝迫さん、紅茶とトルコ菓子の専門店があるよ」とわざわざ教えに来てくれました。さすが、イスタンブールに次ぐオールドバザールに店舗を構えているだけあって、小さなお店なのに品揃えが充実していました。時間的に中に入って見ることはかないませんでしたが、外から見える商品だけでも以下の通り、世界第5位の茶生産量、世界第1位の紅茶消費国であるトルコの影響を受けたであろう喫茶文化があること、オスマン帝国時代から好んで食されたトルコ菓子の歴史を想起することができました。ちなみに、外から見ることができたお茶とお菓子の種類と価格は以下のとおりでした。

量り売りトルコ菓子ロクムロール
Espresso 100g 200MKD/Pistachio Chocolate & Blueberry Almond Cream 100g 200 MKD/Hazelnut Almond Pistachio Pomegranate 100g 200MKD/Lemon Chocolate & Hazelnut 100g 200MKD/Deluxe Hazelnut 100g 200MKD/Browne 100g 200MKD/Hazelnut & Almon Cream 100g 200MKD/Pistachio & Pomegranate 100g 250MKD/Pistachio-Milk Cream 100g 250MKD/Crunchy Orange Almond Cream 100g 180MKD/Kadaif Browne 100g 180MKD/Pistachio Dream 100g 250MKD/Pistachio-Strawberry-Blueberry 100g 200MKD/Rose-Pistachio-Pomegranate 100g 250MKD/Pistachio-Cherry 100g 2000MKD/Snickers 100g 200MKD/Pistachio-Lemon-Chocolate 100g 250MKD
100MKD=260円(2024年8月時点)

箱売りトルコ菓子 Turkish Cotton Candy(綿菓子)/Turkish Delight(ロクムの別名)
箱売り茶 Apple Tea/Orange Tea/Fig Tea
量り売り茶
Mate Tea/Hibiscus Tea/Sage Tea/Melissa Tea/Green Tea/Jasmine Boll/Linden Tea/Turkish Tea/Fennel Seeds/Rosemary/Pomegranate Flower/Blue Mellow/Jasmine Tea/Chamomile Tea/Rose Tea/Curcuma Turmeric/Rose Hip/Cinnamon/Star Anise/Clove/Istanbul Tea/Mix Vitamin/Kleopatra Tea/Health Potion/Cough Flu/Detox Tea/ Love Tea/Ambrosia Tea/Aphrodisiac Tea/Cholesterol Tea/Diabetes Tea

スコピエのランドマーク

天に右手を突き上げるフィリッポス2世立像を目指してオールドマーケットを抜けると、スコピエ2014を具現化した景観が開けます。スコピエ2014とは、ランドマークとなる彫像や泉、橋や博物館を建造する首都整備計画のことです。モニュメント広場にはアレキサンダー大王の父フィリッポス2世立像、アレキサンダー大王立像、オリュンピアスと幼子アレキサンダーの噴水が並んでいます。ヴァルダル川河畔に2014年にオープンした考古学博物館では初期キリスト教のモザイクが展示されています。見所は、最深部に鎮座するアレキサンダー大王の石棺です。例えレプリカとはいえ(イスタンブールの国立考古学博物館に本物があります)魅入られます。マケドニアとペルシアの戦闘、ライオンを狩るレリーフに歴史浪漫を感ぜざるを得ません。見学後、ヴァルダル川にかかるアイ・ブリッジを渡ってマケドニア広場へ。北マケドニアが象徴とするアレキサンダー大王の巨大な騎馬像は圧巻でした。川沿いを歩いてバスに乗り、半日お世話になったローカルガイドのマヤさんとお別れして、昼食をとるレストランへ。街の新旧を知るうえで代表的な場所を巡ったスコピエ半日観光を終えました。

ストビ遺跡

紀元前2世紀、マケドニア王フィリッポス5世が現在の北マケドニアほぼ中央に位置する地に築いた街がストビです。街はアドリア海沿岸のデュラキウム(アルバニアのドゥラス)を起点にテッサロニキでエーゲ海に達し、ビザンティウム(コンスタンティノープル)に到達するエグナティア街道の重要拠点として繁栄を誇ったと言います。ところが、6世紀の大地震で街は放棄され、土に埋もれて19世紀に発掘されるまでその存在が顧みられることはありませんでした。

見学は遺跡ガイドの後について説明を聞きながら、遺跡地図の番号にそって以下のように巡りました。
①→②→聖なる道(ヴィア・サクラ)を通って居住区へ→⑥→⑨→⑪→⑫→⑬→⑭→⑮→⑯→⑲
①劇場・円形闘技場(Theater)
収容人数約7600人。かつて地下にネメシス女神神殿があり、礼拝をしてから闘技や演劇が行われていたと考えられています。
②初期キリスト教会のバシリカと洗礼堂(Episcopal Basilica and Baptistery)
中央の大きな洗礼池は大人用、右上の小さな白い甕が赤ん坊用です。周りを囲む床に描かれているモザイクの孔雀はキリスト教において、不死・復活・救済を表すとともに、蛇を食べることから破邪の象徴とされました。孔雀のモザイクは10マケドニア紙幣のデザインとして用いられています。
③半円形広場(Semicircular Court)
④住宅・商業地区(Residential and Commercial Quarter )
⑤食堂付きの家House with a Triclinium
⑥ドムス邸(Domus Fullonica)
紫貝の色素(紫を使うことができるのは、当時皇帝か司教のみ)が見つかったことから高級衣料店だったと考えられる3世紀の邸宅。
⑦司教館(Episcopal Residence)
⑧牢獄(Prison)
⑨テオドシウス宮殿(Theodosian Palace)
392年にキリスト教を国教と定めた皇帝テオドシウスがこの地を訪れた時に泊まった邸宅です。7つの壁龕(画像奥)には、アフロディテ・アポロンといったギリシャ神像が飾られていました。ユーゴスラビア時代に発掘されたため、出土物はベオグラードの博物館所蔵となっています。
⑩パルテニウス邸(House of Parthenius)
⑪ペリステリア邸(House of Peristeria)
街で最も部屋数(計46)が多い邸宅で、使用人を含め50人ほどが暮らしていたと考えられるペリストリア邸には、家族のレリーフが施されたプール、魚やタコなどのモザイクも。
⑫公共水(City Fountain)
大浴場の向かい側。7㎞離れた水源(クレベ山)から水を引き込んでいました。
⑬大浴場(Large Bath)
男性用。壁3面にベンチが並んでいました。更衣室床下から3世紀初頭の柱廊と2体の彫刻が発見されました。
⑭ポリカルモス邸(House of Polycharmos)
商業で栄える街には必ず存在したユダヤ商人の邸宅。
⑮ユダヤ教会堂シナゴーグ(Synagogue Basilice)
ユダヤ教信者集会所。ユダヤ人居住地に設けられ教会の役割も果たしました。シナゴーグの東側廊で見つかった巨大なモザイク画には、ゾウのほかにも、アレキサンダー大王と思われる人物も描かれていました。ヘブライ語の聖書にゾウは登場しません。聖書に書かれていない事物が古代のシナゴーグから見つかった最初の事例であり、アレキサンダー大王が宗教も人種をも問わない不滅の象徴であることの証と言えます。また、アレキサンダー大王とエルサレムのユダヤ教大祭司との伝説的な会談を描いたという説のあるモザイク画も発見されています。この街を訪れたテオドシウス帝はキリスト教を国教と定めると同時にキリスト教以外の異教を禁止しました。このシナゴーグがどのような歴史をたどったのか非常に興味があります。
⑯小浴場(Small Bath)
女性用。
⑰市民聖堂(Civil Basilica)
⑱北聖堂(North Basilica)
⑲図書館(Building with Arches “Library”)
公文書館。パピルスに記した街の歴史を書架の壁に収めていたと考えられ、大理石が敷かれた閲覧室もありました。
⑳ローマ人の家(Casa Romana)
㉑カジノ(Casino)
㉒イシス神殿(Isis Temple)
㉓要塞(Fortifications)
㉔墓地(Cemetery Basilica)
㉕エクストラムロス聖堂(Basilica Extra Muros)
㉖トルコ橋(Turkish Bridge)
ポンペイを思い出します。ヴェスヴィオ火山の噴火によって時が止まり古代ローマ時代の町には、例えば紀元1世紀に貼られた選挙ポスター、Welcomeとモザイクされた玄関マット、パン屋が窯で焼いて切り分けカウンターに置いたパン、時を止めた生き生きしていた古代人の日常を垣間見ることができます。

全体の大部分80%がまだ土の中で光があたるのを待っているストビ遺跡は、近い将来ポンペイのように整備公開されれば大観光地になることでしょう。

夕刻、ストビ遺跡を後にして、次の目的地である古都オフリッドへ。国境を越えてから歩き続けた長い一日、食後のデザート名物オフリッドケーキがこれから続く旅の期待を高めてくれました。

バルカン半島で体験できた郷土菓子

修道院製焼き菓子

コソボにて。修道院発祥とするヨーロッパの焼き菓子は数多くあります。砂糖やスパイスが貴重だった中世ヨーロッパにおいては、薬草による医療や醸造、製菓などの研究と技術向上は修道院が重要な役割を果たしていました。

トリレチェ(Trilice)
コソボにて。3つのミルクを意味するケーキ名。材料となるミルクの種類はその地域によります。スポンジ生地をミルクシロップに浸してカラメルソースをトッピングしたミルキーなスイーツ。バルカン半島からトルコ一帯でよく食べられているケーキです。

バクラヴァ(Baklava)
コソボにて。幾層にも重ねる薄いパイ生地にクルミ、ピスタチオ、ヘーゼルナッツなどのナッツ類をはさんで焼き上げた後、バターシロップに浸して仕上げるトルコ伝統菓子。中世からアラブ地域に同じ製法の菓子がありましたが、オスマン帝国発で中央アジアからロシアまで伝播しました。

ロクム(Lokum、Turkish delight)
北マケドニアにて。基本形はシンプルなサイコロ状の外観(長い棒状に成型したものを切り分けます)ですが、ピスタチオやアーモンド、クルミなどや、ジャムやクリームを巻き込んで艶やかにデコレートするロール状のロクムもあります。『ナルニア国物語』で、白い魔女が主役の一人次男エドマンドを誘惑するために使ったお菓子だというエピソードはターキッシュデライト(ロクム)をPRする際に語られる定番ネタです。バクラヴァ同様、オスマン帝国の拡大とともに周知されるようになりました。

オフリッドケーキ
北マケドニアにて。チョコレート・クルミ・ラム酒を使用しています。濃厚なので薄切りにしていただきます。

カダイフ
北マケドニアにて。トルコ語で柔らかいという意味で、細い麺状の形をしていることから天使の髪とも呼ばれています。オスマン帝国時代からあるもので、カダイフで作るスイーツとしては、カダイフタトゥルス、キュネフェ、カダイフドルマス等とカダイフを使ったデザートがあります。

レヴァニ(Revani)
アルバニアにて。モリナ粉またはデュラム小麦にオレンジを混ぜてシロップに浸して作られています。中東、ギリシャ、アルバニア、トルコの一般的な家庭のデザートの一種です。

ピスタチオのティラミス,ダークチェリーケーキ
アルバニアにて。リバーサイドのスタイリッシュなカフェの映えるスイーツ2点ですが、食材や製造法は世界最大の生産国であるイラン・トルコなど周辺国の影響と流行を踏まえたものであるなぁと感じました。菓子文化は古代ギリシャ、トルコ、そしてイタリアの影響を受けながら、現代風に形を変えてゆくものですね。

マフィシェ(Mafishe)
アルバニアにて。マフィシェはメレンゲの焼き菓子。首都ティラナに本店のある有名なケーキショップの棚に郷土菓子も並んでいました。

ボンビッチ(Bombici)
アルバニアにて。首都ティラナに本店のある有名なケーキショップでボンビッチ(ナツメヤシ、アーモンド、イチジク、ココアパウダーでつくる一口サイズの菓子)と不思議な形の菓子を購入しました。

カブニ(Kabuni)
アルバニアにて。ラム肉、レーズン、ナッツなどとお米にシナモンを効かせて煮炊きしたクルヤの伝統菓子。

クレムピタ(Krempita)
モンテネグロにて。コトル湾周辺のレストランやカフェで出されるクリームケーキ、クレムピタを楽しみにしていたのですが、朝出発した時から渋滞の遅れが積もり積もって、コトルでのフリータイムは無くなりました。未練たらたら、忘れないようメニューのケーキ写真はおさえます。またひとつ口おしいお菓子が増えてしまいました。

ラベンダーケーキ
モンテネグロにて。ドライフルーツ、アーモンド、胡桃入り。手の平ほどの大きさで厚みもそれほどでもないのに、持つとずっしり250gの重さを実感します。重いのはドライフルーツとナッツ類だけを固めて作ったものだから。有名なパティシエが経営するお店で売るホールケーキ並みの値付けが謎だったのですが、食べて納得のお味でした

イチジクの菓子
イスタンブールにて。地中海沿岸ではイチジク、デーツ、ザクロはよく見かける果実です。また、モモとアンズはアレキサンダー大王がもたらしたと伝わります。イチジクの歴史は古く、アダムとイブが唯一身につけていたのがイチジクの葉でした。

デーツの菓子
イスタンブールにて。ナツメヤシは古来より乾燥した亜熱帯気候のオアシス周辺で栽培されました。ラマダン中、ラマダン明けに食される甘味です。

ピスタチオの菓子
イスタンブールにて。ピスタチオ世界最大生産国であるイラン・トルコでは、さまざまな菓子にも用いられています。

むすび

ギリシャ系、トルコ系の人々が集うコミュニティーで食べたあの菓子を発見することはできませんでしたが、修道院の菓子文化とオスマン帝国の菓子文化が交錯するバルカン半島は、出されたお菓子の由来を考えるだけでも楽しく興味深かったです。いつかまたオスマン帝国の領土からから生まれた国家(現在30を超えます)を巡ってみたいなと思いました。