バルカン半島4カ国取材旅行(4)

川口築/文・写真

オフリド(北マケドニア)

6月23日(日)承前

夕暮れのオフリド

オフリドは、北マケドニア南西部に位置し、ヨーロッパ最古の湖(オフリド湖)に面する町。首都スコピエからは直線距離で120kmくらいであるが、スコビ遺跡経由で山間部の道路を更に100km以上長くバスで走ってやってきた。オフリドは「切り立つ岩の上」という意味であり、まさに高地の山合いにある。

夕食に出かけるため、ちょっと町中から外れたホテルから旧市街に向かって歩く。すると、いきなりゴーカートやトランポリン、メリーゴーランド、ダンスパーティーのディスプレイなどなど派手なアトラクションが現れた。どうも移動式の遊園地のようだ。西欧で何度も見かけたものだ。静かで清楚な町をイメージしていたが、6月下旬のオフリドは完全なリゾート地であった。湖のほとりに出ると、今度は大きなカフェで結婚式の披露宴をやっている。男女が大音量の音楽とともに大きな輪になって店内で踊っている。手前の湖沿いの道路では、派手に電飾された「きかんしゃトーマス」の車がエキゾチックな音を巻き散らせながら移動している。目的地の湖畔のレストランは、すでに多くの人でざわめいている。名物のマス料理をいただくが、室内客の喧噪で、同じテーブルでも同行者の話が聞き取れないくらいである。

6月24日(月)

オフリド旧市街散策

北マケドニアは二度目の訪問となる。前回は、国名がまだマケドニアであった時だ(ギリシャと国名でもめていた)。その際は首都スコピエしか訪れていなかったので、オフリドは楽しみにしていた。 前夜、予想に反して騒がしい世界遺産(1979年に自然遺産、翌年に複合遺産登録)のオフリドであったが、翌日旧市街をまわるとイメージが一変した。丘に登る細い道を歩くと、昔ながらの二階が飛び出した伝統的な建物やら数々の聖堂、遺跡が現れてくる。

オフリドは、ビザンチン帝国、中世ブルガリア帝国、セルビア王国、オスマン帝国等さまざまな国に支配されてきたが、そんな中でも発展し続けた町である。その理由の一つは、ローマ帝国の時代以降、コンスタンチノープルからアドリア海を結ぶ街道に位置し、軍事面、商業面の要衝であったこと。そしてもう一つは、宗教都市としての側面だ。ここはキリスト教(正教会)の布教の一大拠点となっていた。その布教の中心的人物は聖クリメントという方。町の真ん中の広場に大きな銅像があり、その腕にオフリドの町のミニチュアを抱えていることから、最も重要視されている方だということがわかる。彼は9世紀から10世紀にかけて、彼の師匠(キリルとメトディオスの兄弟)が考案したグラゴール文字を改良してキリル文字を発明し、スラブ社会への布教を行った重要人物である。それまでのギリシャ文字やラテン文字(ローマ字)にキリル文字(スラブ語)が加わったことは素晴らしいことだが、あの難読文字は旅行者の私にとっては頭の痛いところである(旧ユーゴスラビア諸国では、セルビアと北マケドニアが使用している)。

朝でありながら日差しが強い中坂道の石畳を上り、途中、古代の劇場跡などを見学しつつ丘の上の聖堂に行く。ここは聖クリメント教会。前述の聖クリメントが建てた修道院で、まさにキリル文字を使って布教を行ったところだ。ここでは文学や自然科学も教えていたとのことで、いわば学校でもあり、スラブ社会への文化の発信基地でもある(オフリドは「マケドニアのエルサレム」とも呼ばれていた)。オスマン帝国時代にはモスクに変えられたが、今は修道院として復活している。オスマン帝国時代にモルタルで白く塗りつぶされたフレスコ画も修復されて美しい。屋外からのオフリド湖の眺望もまた美しい。琵琶湖の約半分の大きさ(南北約30km、東西約15km)を誇るその古代湖を遠望できる。坂道を下ると、テラコッタタイルの明るい赤褐色の屋根とオフリド湖の水の青さが、これまた美しさを増して楽しませてくれる。

北マケドニアの紙幣にも描かれている聖ソフィア教会へ行く。朝方はミサを行っていたので入れなかったところだ。中世ブルガリア帝国の統治時代には、ブルガリア正教会のトップ(総主教)がおられたところで、かなり重要なキリスト教のセンターであった。11世紀に創建された聖堂は、ここでもオスマン帝国時代にモスクとなったが、第二次大戦後にキリスト教会に戻った。修復された見事なビザンチン美術のフレスコ画を鑑賞する。布教への熱意と歴史的な変遷がよくわかる旧市街であった。

もう一つの聖地へ(オフリド湖畔を南下)

その後、正午前にバスに乗って旧市街を離れ、アルバニア国境に程近いオフリド南部の聖ナウム修道院を目指す。

途中、オフリド湖の上に造られた古代人集落の遺跡を見学に行く。紀元前12世紀から7世紀に作られた住居跡が復元されたところである。ダイバーによって水中で偶然発見された。24の家屋は「ベイ・オブ・ボーンズ(Bay of Bones)」という名の博物館になっている。ドイツのボーデン湖にも同様の住居跡があり、またパプアニューギニアの首都ポートモレスビーでは「現役」の海上住居があってそれぞれ観たことがある。ここ「ベイ・オブ・ボーンズ(骨の湾)」もぜひ観たかったが、あいにくの休館日で中に入れず残念であった。陸上でなく、水上に集落を作った理由は、クマなどの野生動物から身を守るためということであったようだが、それよりも他の部族から襲われないためであったという説もあるそうだ。一番怖いのは人間であるのかもしれない。

聖ナウム修道院は、聖クリメントと共にスラブ人への布教に功績を挙げた聖ナウムが905年に建てたところで、彼が埋葬されている重要な聖地である。とはいっても入場門からしばらくは右手の湖畔がビーチになっており、多くの家族連れが水着姿ではしゃいでいる。ホテルやレストランも複数あり、リゾート地となっている。その一画にある修道院まで参道を歩くと、雰囲気ががらりと変わる。小さな修道院の中は湿気でムッとするが、フレスコ画はきちんと修復されている。聖クリメントと聖ナウムが並んで描かれたイコンもしっかり見える。木彫りで金色に輝くイコノスタシス(祭壇部と一般信者席とを分ける壁)もこれまた見事である。

すぐ側には木々に囲まれた池があり、地下水が湧き出る場所「ツルニ・ドゥルミの泉」へと小船で訪ねることができる。手漕ぎボートに乗り込み池をゆっくり進むと、透明な水越しに水底が緑色に広がり大変美しい。ひんやりとしてまた静かで、カイツブリの親子などの餌取りを気持ちよく観る。泉の湧き水は、折角なので汲み上げて一口いただく。帰りには水面に霧も広がり、幻想的で聖的なものを感じる。

喧騒と静寂。創作と自然。
いろいろなオフリド湖畔を堪能できた。