マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園

イタリア 1993年に文化遺産として登録  

八重野充弘/文・写真

 イタリア南部の町ターラントから西へ約60㎞、車だと約1時間でマテーラに着く。私が2005年に取材で訪ねたザッカロさん一家は、サッシ(洞窟住居)でB&B(宿泊と朝食)の宿を経営している。
 急勾配で狭い石の階段を降りていきながら、さぞかし不便な暮らしだろうなと想像したが、シャレた造りの木の門扉を開け、石畳のアプローチを通って玄関を入ったとたん、その杞憂は驚きと化した。
 そこは洞窟の前に石を積み上げてつくった部屋。20畳以上はあるダイニングキッチンとリビングは、3人家族には十分の広さで、真っ白く塗られた壁と天井が、窓から差し込む自然光を反射してとても明るい。そして、その窓から望むサッシ群と、深い谷を挟んで対岸に位置する岩山の景観は、一幅の絵のように美しい。

 エウスターキオさんとアントラネットさん夫妻は、ともに20代だった1986年にここへ移り住んできた。それまで、この家にはピカソに師事したスペイン人の画家が住んでいたそうだ。2人の先祖はもともとサッシの住人だったので、ここはふるさとみたいなもの。しかし、アントラネットさんは来たばかりのころをこう述懐する。
「電気もなければ水道もガスもない。どうやって生活するのって、途方に暮れましたよ」
 それが、いまではライフラインもととのい、快適な住環境となった。しかも、住まいとは別に何部屋かを改装した宿は、その名も「カサ・ラマンナ(天の恵みを受けた家)」だ。客室もすべて見せてもらったが、広くてきれい。四つ星クラスのホテルに匹敵するといってもいい。
「洞窟ですから、夏涼しく、冬暖かいですよ」
 と、エウスターキオさんは自慢げに語った。
 見学のあと、ランチをごちそうになった。
「まずはお祖父さんのワインをどうぞ」
 といいながら、アントラネットさんがボトルを開ける。彼女のお祖父さんは、郊外でワイナリーを営んでいるという。コクのあるすばらしい味だ。そして自家製のパスタ。マテーラは小麦の産地だから、おいしいのは当たり前。さらに、これも自家製のオリーブの実の塩漬け。あとを引くうまさだ。料理に使われているオリーブ油も上等だし、野菜も新鮮。確かに、古い資料にある昔のサッシの暮らしとは比較にならないようだ。
 一人娘のマリアンナちゃんは初等学校に入ったばかりだから、昼には帰宅する。ランチのあと、折り紙のペンギンとツルを見せてくれた。日本人観光客から折り方を教わったとか。彼女の成長とともに、ここでの暮らしはいまよりもっと便利になっていくことだろう。

スラム、廃墟から世界遺産の町へ

 水量が豊かだったブラーダノ川が凝灰岩の台地を浸食し、岸辺にできた自然の洞窟には先史時代から人が住み着いていた。8世紀ごろ、イスラーム教徒の迫害から逃れてきたギリシャの修道僧が、人工的に洞窟を掘って住まいや修道院をつくり始め、15世紀ごろには洞窟の前に石を積んで、居住空間を拡張するようになった。
 中世の終わりごろには、周辺での農業も盛んになり、マテーラの町は人口が増え、商業も栄えたが、そこに貧富の差が生じて、富裕階級は高台の新しい住宅地区に住むようになり、サッシは徐々にスラム化していった。
 1950年代から60年代にかけて、住民は強制的に郊外の新しい町へ移住させられ、一時的にサッシ地区は無人と化した。それが1980年代の半ばごろから、歴史的価値が見直され、荒廃を防ぐために住民を呼び戻す策を講じるようになった。

人と家畜が同居していた昔の暮らしを再現した部屋が、観光客のために公開されている。

マテーラの洞窟住居は動画でも見ることができます。

(動画制作/立岡博)

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八重野充弘