アヴィニョン歴史地区:教皇宮殿、大司教座の建造物群および  アヴィニョン橋

フランス 1995年に文化遺産として登録、2006年に改称  

中村浩美/文・写真

 南仏プロヴァンスの代表都市アヴィニョン。この都市が歴史的に脚光を浴びたのは、ローマ・カトリックの法王庁(教皇庁)がローマからここに移された14世紀のことだ。1309年~1377年の間、7人の法王(教皇)がアヴィニョンを座所とした。いわゆる法王のアヴィニョン虜囚時代である。グレゴリウス11世が1377年に法王庁をローマに戻した後も、アヴィニョンはローマ法王領として特異な文化の華を咲かせた。旧市街は14世紀に築かれた長さ4.3㎞の城壁に囲まれている。1995年にアヴィニョン歴史地区として世界遺産に登録され、2006年に法王宮殿、司教(大司教座)関連建造物群、及びアヴィニョン橋と登録名称が変わった。

アヴィニョン法王庁時代に建設された法王宮殿は、ベネディクト12世による旧宮殿、クレメンス6世が造らせた新宮殿、二つの区画で構成されている。城塞のような宮殿だ。現存する中世ゴシック様式では、最大級の建築物だという。フランス革命などによる破壊と略奪のため、往時の華やかさを伝える調度品や芸術品はほとんど散逸していて、宮殿内部には見るべきものが乏しかった。現在宮殿内部は催事スペースとして使われており、訪れた時にはピカソ展が開かれていた。毎年夏に開催されるアヴィニョン演劇祭の、メイン会場として使用されていることで有名だ。
法王宮殿に隣接して建つのが、ノートルダム・デ・ドン大聖堂。12世紀中頃に建造されたロマネスク様式の、アヴィニョン司教座のある聖堂だが、幾度も改修が施されたという。鐘楼の上に建つ黄金の聖母像は、遠くからでも目立つが、これは1859年の設置だという。法王庁広場の奥に建つ司教館プチ・パレ(小宮殿)は、現在美術館として公開されている。
法王庁の裏手には、岩壁が自然の要塞になっているロシェ・デ・ドン(ドンの岩壁)があり、岩壁の上には公園が造られている。このロシェ・デ・ドン公園からは、サン・ベネゼ橋を望むことができる。ローヌ川に架けられた橋がサン・ベネゼ橋だ。アヴィニョン橋の通称で親しまれている。完成は1190年で、もともとは22個のアーチを備えた橋だったが、1669年の大洪水で流され、現在は4個のアーチが残るのみで対岸へは渡れない。アヴィニョンのシンボルと言われる橋だが、ローヌ川からの橋の眺めはそれなりに趣があるが、橋自体は幅も狭く、あまり面白味はない。歌にあるように、みんなで輪になって踊るほどのスペースはない。実際には橋の下の中洲の島で、歌ったり踊ったりしたようだ。橋の突端にサン・ニコラ礼拝堂が残っている。
城壁に囲まれた、城塞のような法王庁。ヴァチカンとは全く異なるその光景が、法王虜囚時代という歴史を実感させてくれた。アヴィニョンを訪れたのは、世界記録に登録された1995年のことだった。パリ・リヨン駅からTGVで3時間弱だが、ニームに滞在していた僕は、車でアヴィニョンへ行った。写真はすべて1995年5月の撮影。

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中村浩美