旅する桃源郷

下川裕治著 産業編集センター 2023年7月刊

旅行作家として息長く現役で活躍する下川裕治氏の近著である。『12万円で世界を歩く』のヒット以来、すっかりバックパッカーの元祖となり、旅行書の分野ではすでにお馴染みの著者だが、今回の作品は一味違う。というのはこれまでの多くの作品がルポであり、現場中心のものに比べ、本作は一歩、「個」の中に踏み込み、これまでの旅の自己流のエセンスを汲み上げているところだろう。つまり、「紀行エッセイ」のジャンルとなっており、踏み込むテーマも作家のオリジナリティーがふんだんに散りばめられていることだ。

著者にとって「旅する桃源郷」とは、要約すると(1)無音(静けさ)、(2)水、(3)会話となる。音のない静寂さは自己を見つめる内省の旅となり、水は生命の源。著者の故郷の信州の水(アルプスの地下水)のおいしさが彼地の自然の美しさを代弁する。シルクロードは「砂漠の道」というのが常識となっているが、著者はそこに「水の道」を発見した。カラコルム山脈の地下水、湧水が故郷の水の味と同じであることを体験し、感慨に浸るのである。現地での人との会話は桃源郷に潤色を加える。異国へ行き、異文化と触れ合うことこそ、旅の醍醐味である。また著者は、永年にわたる旅の経験のなかで、気の置けない友人らを各地にもっている。これも羨ましいかぎりだ。