ドイツ 1978年に文化遺産として登録
藤田 邦彦/文・写真
アーヘン大聖堂は、北部ヨーロッパでは最古の大聖堂である。多様の建築様式が混在しているが、世界遺産登録時の文章に”人類の創造的才能を表現する傑作“と書かれており、外部はゴシックの威圧感はなく、内部は優しさと威厳とが高い次元の調和を感じさせるものであった。世界遺産リスト登録は1978年から始まった。アーヘン大聖堂は初回登録12箇所の一つであり、ドイツで最初に登録された。
カール一世(大帝)は、当時力のあった東ローマ帝国皇帝と対等な力を示そうとして、宮廷礼拝堂を第二のローマにしようとした。ローマやコンスタンチンの礼拝堂を参考にし、ラヴェンダの聖ヴィターレ聖堂などを具体的な手本とした。建造はフランス人オドにより785年ごろ着工され、805年献堂された、建材は大理石などイタリアから運ばれたものもある。この大聖堂は宮廷に付随しているので教会に付随するものではない。814年、カール大帝は死去しこの大聖堂に埋葬された。
カール大帝は771年国王になり、43年間君臨し、西ローマ帝国、キリスト教、ゲルマン文化圏などの要素を融合した神聖ローマ帝国を形成し、ヨーロッパの父ともいわれている。神聖ローマ帝国の戴冠式はこの大聖堂で行われ、936年から1531年の間に30人の皇帝が誕生した。
1165年、大帝は聖人に列挙され、アーヘンはアルプス以北では最大の巡礼地となった。巡礼者の増加のため、ホールが増設され、宝物館が造られた。金メッキされたカール大帝の胸像(1349年製造)、銀製の聖遺物箱(写真ー1)、ロタールの十字架、ベルフォスネの石棺などがおさめられている。
大聖堂の中央に八角形の空間(写真―2)があり、大理石の土台の上に無装飾の木製の大きな椅子が置かれている。ここで戴冠式が挙行される。大聖堂は第二次世界大戦で破壊された部分を2000年にカール大帝戴冠1200年事業として、大規模な修復を受けている(写真―3)。
アーヘン市はドイツ西部にありベルギーに接している人口25万人の都市だ。2014年6月、緑豊かな丘陵の中のアーヘン大聖堂を訪れた。外装はこけおどしの大きさで迫るものではなく、古都の寺院のような雰囲気で、修復を受けた内部は重厚な豪華さの中に明るさと繊細さを感じるものだった。過大な威圧を感じさせないのも好感がもてた。