ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群

ドイツ 1990年に文化遺産として登録、1992年と1999年に登録物件を拡張  

野田 隆/文・写真

サンスーシー宮殿と庭園

 ポツダム中央駅前からバスに乗り、15分あまりで「シュロス(宮殿)・サンスーシー」というバス停に着く。観光客らしき乗客が大勢降りるので、後に続く。左上の小高い丘の上に黄色い館が建っているが、それが目指す宮殿のようだ。道なりに歩いていくと門をくぐって宮殿の敷地内に入ってしまったが、案内板が目に留まらなかったので、どの方向へ進んでいいのか分からない。左手は日蔭になっていて陰気そうだが、右手は陽光のもと明るい庭園が広がっている。とりあえずは、庭園の方向に進んだ。
 庭園は、宮殿の前庭の先が、段々畑のようになっていて、坂道を下りて行くと噴水のある広場に出る。まわりには思い思いのポーズをとった彫刻が立ち並んでいる。ぐるりと散策してから、ふたたび坂道を上って宮殿に向かう。右手には金色に光り輝く鳥かごのような小さな建物がある。それをくぐって宮殿に沿って日蔭になった裏手に向かうと、ようやく入り口やチケット売り場の表示を見つけることができた。

 宮殿内の見学は時間制のガイドツアーになっている。チケットを購入すると、早くて1時間後とのこと。その間に昼食でも摂ろうと考えたが、あいにくレストランが見つからない。やむをえず、もう1度庭園の坂を下って噴水の脇にあったベンチでのんびり過ごすことにした。手持ち無沙汰なので、何気なく宮殿付近の地図を取り出して見ていたら、この近くに新宮殿という別の宮殿があることに気づいた。その宮殿があると思われる方向に目をやると、広い並木道の先にそれらしい建物が見えている。「何だ、近いのか、どうせぼうっとしているなら新宮殿まで行ってみようか」、そう思って、ぶらぶら並木道を歩き出した。
 この並木道の周りは変化に富んでいる。右手に、風車とノイエ・カンメルンという倉庫のような建物、さらに進むとオランジェリー宮殿があらわれる。いっぽう左手には中国茶館も見える。立ち止まって、それらを眺めたり、カメラに収めたりしてのんびり歩いていくが、目的地の新宮殿にはなかなか到達しない。宮殿自体が大きいから近くに見えたのだ。なんとか新宮殿にたどり着いたときには、歩き始めてからゆうに20分は過ぎている。新宮殿の前を5分ほどぶらぶらしただけで、とんぼ返りしなくてはサンスーシー宮殿の見学時間に間に合わない。帰りは、途中の風景には目もくれないで急いだので、噴水のところから坂を上って宮殿にたどり着いたときには、息も絶え絶えになっていた。
 なんとか見学時間には間に合い、ガイドに従って、宮殿内に入る。ここでは大理石のフロアを保護するためか、特製のスリッパを履くことになっている。靴は脱がないで、靴ごと大きなスリッパに足を入れるところが面白い。歩きにくいが、引きずるように動くと楽だった。
 ロココ調にまとめられた大理石の間や、ぶどうの絵が描かれた部屋がユニークだ。宮殿しては部屋数が多くなく、小ぢんまりした感じだ。持ち主だったフリードリヒ大王のプライベートな館だったからだろうか。それに引きかえ、先ほど往復した新宮殿の方は、公式の来賓をもてなす建物だったそうで、内部は、こちらより広いそうだ。

◇拙著『列車で巡るドイツ一周世界遺産の旅』「第3章 ベルリンが誇る博物館の島とポツダムの宮殿群」より

ポツダム宣言ゆかりのツェツィリエンホーフ宮殿

 サンスーシー宮殿見学が終わり、近くにあったレストランで食事をしたあと、ポツダムにある別の宮殿ツェツィリエンホーフを訪問してみた。バスで移動するのだが、観光シーズン・オフの3月には直通バスがない。乗換えの方法もガイドブックの記述は曖昧で役に立たない。地図を見て、方角から駅へ戻るバスに乗るのだろうと見当をつけ、運転手に訊いてみた。
 運転手は親切にも、わかりやすい路線図入りの地図をくれ、乗り換えるバス停もはっきりと教えてくれた。乗換え場所であるイェーガートアに着くと、別のバスが前に停まっているので分かりやすし、運転手が指差すので安心だった。

 今度もツェツィリエンホーフ宮殿というバス停なので間違えることはない。この宮殿は、質素な建物で、宮殿というよりはカントリーハウス風の館だ。豪華さではなく、歴史的に重要な場所と言うことで有名になったのだろうか。すなわち、第二次世界大戦の終結に際して、連合国側の代表が会談した場所なのだ。戦争を体験した者にとっては、ポツダムというと、ポツダム宣言受諾、玉音放送、終戦という連想がはたらくようだが、この館こそが、その現場である。中には、アメリカ、イギリス、ソ連(当時)各代表団の控え室や、会談に列席した当時の首脳であるトルーマン、チャーチル、スターリンが一堂に会した部屋、記念写真などが飾られていた。ここでおよそ70年前に日本の行く末が話し合われたのかと思うと、感慨深いものがあった。
 帰りのバスは、停留所が1つしかないので、来たときと同じ方向へ行くバスに乗る。1つ先の停留所が終点だが、そのまま乗っていると、ツェツィリエンホーフ宮殿前は通らないで別のところを通って駅のほうへ向かう。バスのルート・マップをよく見ないと分からないかもしれない。
 ポツダムはベルリンの郊外なので、日帰りの散策にはもってこいの場所だ。これだけ時間をかけて宮殿めぐりをして、列車でツォー駅に戻り、ホテルで着替えをしてから、その日の夜の、ベルリン・ドイツ・オペラの公演には充分間に合った。その晩の演目は、ドイツものではなく、プッチーニの「西部の娘」。わが国ではあまり見る機会のないオペラだ。いずれにせよ、ベルリンに滞在していると、昼夜を問わず、様々な文化の香りを身近に味わうことが出来る。新しいスポットもどんどん出来るし、ベルリンの魅力は尽きないようだ。

◇拙著『列車で巡るドイツ一周世界遺産の旅』「第3章 ベルリンが誇る博物館の島とポツダムの宮殿群」より

この記事を書いた人

野田隆

野田隆

1952年名古屋市生まれ。早稲田大学大学院修了(国際法)。
都立高校に勤務のかたわら、ヨーロッパや日本の鉄道旅行を中心とした著作を発表、
2010年に早期退職後は、フリーとして活動。
おもな著書に
「にっぽんの鉄道150年」「シニア鉄道旅の魅力」(平凡社新書)
「テツ道のすゝめ」(中日新聞社)
「列車で巡るドイツ一周世界遺産の旅」(角川書店)
「ドイツ=鉄道旅物語」(東京書籍)など