岐阜県大野郡・富山県南砺市 1995年に文化遺産として登録
野口正二郎/文・写真
新緑の白川郷
岐阜県白川村の出身の中谷克彦氏と共に、2016年5月下旬、新緑の季節に白川郷を訪ねた。上野から中谷氏の車に3人が同乗し4人旅。まずは中央自動車道を通り、奥飛騨温泉郷に行き、新穂高ロープウエーで、西穂高口駅に登り、北アルプスの絶景を堪能する。残雪あり。その晩は新平湯温泉の民食に1泊して、翌日白川郷へ。車は便利である。
高山から有料道路、荘川ICで下りて、御母衣(みぼろ)湖の湖岸を走ると、荘川桜が現れる。桜の大木が2本、新緑の葉をたたえ湖を見下ろしている。有名な桜は既に散っており残念だが、人がいないので、ゆっくり見ることができた。御母衣ダム建設の折に、湖底に沈む旧荘川村の二つのお寺から樹齢450年ともいわれる古木を電源開発(株)が移転し、現在まで守ってきた。
その御母衣ダム・発電所のダムサイドパークでは、大塚雅人資料館長と中谷氏の親戚の中谷剛史氏が土曜日に出勤いただき、館長自ら説明をいただいた。ロックフィルダムという岩と粘土状の土でつくられた珍しいダムと思っていたら、調べてみると日本各地に300か所くらいあるようで、勉強不足であった。その中でも大型のダムで、高さ131m、貯水容量370,000(1,000立方メートル)、1957年に着工、1961年完成の古いダムである。
特別に発電所の内部を見学することができた。ダム左岸直下210mに設置され、2台の発電機で21.5万キロワットの電力をつくる。この日は稼働しておらず、そのコントロールは名古屋かどこか、別の事務所で行っており、いちいち発電所にこなくても可能となっている。日本のダムは、土を盛ってつくるアースダムが50%、コンクリートダムが40%、ロックフィルダムが10%ということで、全国に約3,000のダムがある。原子力発電所が止まっても、水力発電等でなんとか日本の電力をまかなっていることになる。
今回の目的のひとつは、中谷氏の祖母の家であった「旧遠山家民俗館」を、見学すること。修復工事が数か月遅れてしまい、7月から一般見学が可能になる予定であったが、中谷氏のコネで白川村役場の担当者、松本さんが出迎えて、館内を案内して下さった。
1820年代のもので、白川郷の代表的な合掌造り、国指定の重要文化財になっている。NHKで、日本全国の民家を描いて回った向井潤吉画伯の番組があり、旧遠山家の絵も紹介されていた。1階は住居、2~4階は養蚕用に使われていた。現在は、2階には農工具や養蚕、昔の生活用品が展示されている。昔は大家族制で何十人もの人が、1軒の中で生活していた。
珍しいことに、昔は人尿を貯めて、火薬の原料となる煙硝を作っていた。建物の中に巨大な桶が2つあり、用をたすようになっている。昔は辺境の地であったので、軍事機密を保つには良い場所であったようだ。家の前に白山神社があり、急階段を登ってみると、枝葉が邪魔であるが上より全景を見ることができる。
午後、萩町城跡展望台に行くと、眼下に白川郷の全景が見渡せて、感動。「和田家」が手前の中心にあり、奥のほうに合掌造りの民家が散在する。新緑の季節、美しい日本の農村風景が広がっている。昼間は観光客、特に中国の人が多く、写真を撮るのに賑わっていた。翌日の朝6時前に行くと、人がおらず景色を独占してみることができた。中谷氏が午前中にもう1回展望台に連れていってくれたので、合計3回行き、沢山の写真を撮ることができた。東京に戻ってから、4つ切りサイズで、6枚焼き回しした。
村を散策して、明善寺の庫裡や和田家の内部を見学、昔の生活を偲ぶ。平成7年(1995年)に白川郷萩町合掌集落世界文化遺産に登録されると、約1,900人の村に年間約100万人の観光客が来るようになった。近年交通網が整備されると、昔は山深い里であった白川郷が簡単に立ち寄れることになり、昼間観光して、別の都市へ行き宿泊するケースが多くなった。
私達は、中谷氏の親戚が経営する民宿「かやぶき」に泊まり、飛騨牛や、魚、山菜ををいただき、お酒も飲み、1泊2日滞在することができた。欧米人は、2~3泊の連泊をする人が多いようで、我々も見習いたいことである。
中谷氏の車で、自由自在に白川村と周辺を回ることができた。富山県五箇山の合掌集落に足をのばし、村上家で、団体客が(こきりこ民謡)などを鑑賞するのを外から聞いた。鳩谷ダムの放水を遠方から見たり、山の中に入り、水芭蕉の群生を近くでみることができて、幸運であった。
10月中旬には「どぶろく祭り」があり、紅葉を見ながら、お祭りとどぶろくを楽しむのも良い。11月は、消火訓練の為に一斉放水があり人気の行事となっており、冬は雪景色の合掌集落を見るのも一興である。