Saitou Shigeta Award Vol.8
第8回斎藤茂太賞

第8回斎藤茂太賞授賞式開催

 一般社団法人日本旅行作家協会(会長/下重暁子・会員数約180人)は、創立会長の故・斎藤茂太氏(作家・精神科医)の功績をたたえ、またその志を引き継ぐため、氏の生誕100年、没後10年にあたる2016年、旅にかかわる優れた著作を表彰する「斎藤茂太賞」を創設しました。
 第8回の今年は、2022年に出版された紀行・旅行記、旅に関するエッセイ及びノンフィクション作品を対象とし、会員による数次の選考を経て、去る2023年5月25日、下重暁子(作家)、椎名誠(作家)、大岡玲(作家)、芦原伸(紀行作家・元SINRA編集長)、種村国夫(イラストレーター・エッセイスト)の5氏によって最終選考が行われ、デコート豊崎アリサ著の『トゥアレグ 自由への帰路』(イースト・プレス)が受賞作に選ばれました。
 授賞式は7月27日に日本プレスセンター内のレストランアラスカで行われ、選考委員の5氏をはじめ日本旅行作家協会の会員50名以上が集まり、著者本人から直接語られる、この作品が生まれるに至った課程に興味深く耳を傾けるとともに、受賞を心から祝福しました。(写真:戸川覚)

斎藤茂太賞の正賞は賞状とクリスタルの盾、賞金30万円。今回も、サントリーホールディングス(株)、(株)ウッドワン、(株)阪急阪神ビジネストラベル、日進ホールディングス(株)に協賛いただきました。心より感謝いたします。

第8回斎藤茂太賞受賞作

トゥアレグ 自由への帰路
デコート豊崎アリサ(イースト・プレス)

著者プロフィール

 ジャーナリスト、写真家、ドキュメンタリー作家。日本人とフランス人の両親をもつ。幼少期から冒険家の父とアフリカを旅し、サハラ砂漠に出会う。その後、自身のラクダ3頭を保有し、トゥアレグ族の男性のみで構成される塩キャラバンの一員となり、ニジェール、マリ、アルジェリアの砂漠を放浪する。また、トウアレグ族の遊牧生活を支援するため「サハラ・エリキ」を設立し、本物のキャラバンを体験するツアーを主催。ティナリウェンやタミクレストなど、トゥアレグ音楽を日本に紹介する活動も行う。2011年の東日本大震災を機にジャーナリスト活動をはじめ、パリ、東京、サハラ3か所の拠点を行き来しながら取材を続けている。2015年、「ニジェールとウラン鉱山」を取材し、報道雑誌連合組合の調査報道大賞受賞。パリで「ウラン鉱山とトゥアレグ族」の写真展と講演を開催。2016年、ソーラーパネル担ぎ、ドキュメンタリー映画「Caravan to the future」を撮影・監督し、3000㎞を横断する塩キャラバンの日常を描いた。

第5回旅の良書

斎藤茂太賞の最終候補に残った3作品をはじめ、11の優れた作品を「第5回旅の良書」に選定、授賞式の最後に発表しました。

選評(見出しはいずれも受賞作への評価)

下重 暁子
作家
日本旅行作家協会会長

本当の自由とは?
この問いかけを無視するわけにはいかない

 私は死ぬときは砂漠でと心に決めている。かつて、半年間のエジプト暮らしのなかで、毎日砂漠を眺めながら過ごし、五感を通して砂漠のもつ魅力に浸ったからだ。砂の匂いが好き。砂嵐のあとの何もかもが洗い清められた景色が好き。そんな私だから、砂漠のキャラバンを題材にした旅行記を手にして、心が躍らないわけがない。そして、この『トゥアレグ 自由への帰路』は期待を裏切らないどころか、圧倒的なできばえに心から拍手を送り、「今回はこれで決まり!」と確信した。
 まず、文章がうまい。日本語の微妙な表現については、お母さんの指導を受けたとあるが、好感のもてる素直な表現で綴られている。描かれる世界は、塩を運ぶラクダのキャラバンだけでなく、アフリカ大陸のど真ん中で起こっているさまざまな問題へと広がっていく。相当危ない目にも遭っていると思うのだが、本書からはそれがほとんど感じられない。実際はどうだったのか、会ったときに聞いてみたい。
 随所に挿入された写真がこれまたすばらしい。たぐいまれな感性と表現力に恵まれた方なのだろう。なによりも最大の評価点は、キャラバンの暮らしに舞い戻ることによって、ほんとうの自由とは何かについて考え、この重いテーマを本書を通じて現代人につきつけていることだ。それはジャーナリストとしての彼女の矜恃であり、私たちはこの問いかけを無視するわけにはいかないだろう。
 さて、最終選考に選ばれたのは四作品だが、今回これらは全く傾向が違っていて選評にあたってはそれぞれに楽しませていただいた。まず『むう風土記』は、珍味・奇食の旅である。ところが筆者の手にかかると、何やら珍しいおいしそうな郷土食となり、つい手を伸ばしたくなるから不思議だ。好奇心が筆になってしっかり聞き取って書いている。ただこの手の類書は数多くあり、特出すべきところまで達していないところに物足りなさを感じた。まだまだ若いと思われる作者の今後に期待したい。  
 『イスタンブールで青に溺れる 発達障害者の世界周航記』は、非常にユニークは作品で審査員の間でも賛否が分かれたが、私はむしろそこに豊かな感性を感じとった。訪れる都市とそこで作者が思い出し紹介する文芸作品の一節が何ともいえない相乗的な効果でその都市の印象記となっていて魅力的である。しかしことさら自分が自閉スペクトラム症であることを強調しすぎる感があった。
 『南洋のソングライン ―幻の屋久島古謡を追って』は、屋久島にわずかに残る「まつばんだ」という民謡のルーツを訪ねる物語である。現地の仲間と共同作業で音源を追う筆者の姿が爽やかで、発見のひとつひとつが謎解きのドラマのようでもある。このルポルタージュと並行して古謡「まつばんだ」を歌い継ぐ動きも活発化してきているという。地域の見直し、そして活性化の時代を象徴するような作品ともいえるかもしれない。
 最後に、小さな出版社そして地方の出版社が力量のある作品を出版している現実を今回の選考会で知ることができた。これは高く評価したいことである。

椎名 誠
作家
日本旅行作家協会名誉会員

スケールの大きな砂漠に生きる民の迫力

 昨年に引き続き、今回も外国に住み両親がそれぞれ別の国の、つまり混血の、しかし日本人の血を受け継いだ作者の作品が受賞した。本協会では初めて触れる全編砂漠を舞台にしたスケールの大きな、そして問題点を豊富に示す作品である。
 この作品の優れたところは文章が非常に緻密で、胸躍る筆致を貫いていて、いわゆる読み始めたら最後まで止まらない、骨太の超特急本の貫録を持っている。砂漠の民として有名なトゥアレグの集団の中で長くたくさんのことを経験した人が書いた巨大な作品である。トゥアレグを傍観しただけではなく、その民族の中に入り込んで、様々な、私たちにとっては衝撃と感動に満ちた生活とその行動をとらえている。トゥアレグと長く生活を共にした筆者でないと描けなかった世界だろう。しかも体感的に日本人の血を湧き立たせる異民族のいきいきとした今日的なテーマと内容に満ちており、あらゆるところで感動する。
 砂漠とそこに生きる民の微細にわたる描写が生き生きとしており、作者がいかに砂漠とそこに生きる民を愛しているのか、大きく強く胸を打たせる。
 この作品で驚くべきことはたくさんあったが、本文の中で描かれている風景やそこでの人々の営みをとらえた写真のひとつひとつも素晴らしい。どうしたらこれほど感性のいきわたったいきいきとした写真が撮れるのか単純な疑問があった。やがて詳細がわかってくるが、それも著者が単なる旅人ではなく、トゥアレグの中に入り込んで撮影してきたからだとわかった。

大岡 玲
作家
東京経済大学教授

著者の情熱と勇気、そして不屈に、
スタンディングオベーションを送りたい

 極上の旅の本は、書斎にいながらにして思念を旅へと誘(いざな)ってくれる。受賞作『トゥアレグ 自由への帰路』ときたら、それどころか、過酷なのになぜか明るい、危険なのになぜかうきうきするサハラ砂漠の旅と風に、読者を思いきり巻き込んでもみくちゃにしてくれる。吹きすさぶ砂まじりの風が全身を叩くその感覚に、ページをめくりながら思わず息をのんで身を固くしてしまう。今は消滅しかかっているトゥアレグ族の物々交換キャラバン「塩キャラバン」に恋焦がれ、「本物の世界」と「自由」への帰還を求め、単身サハラ砂漠に飛び込む著者の情熱と勇気、そして不屈にスタンディングオベーションを送りたい。砂漠に暮らす人々のあれこれと風物を詩情あふれる文章で活写し、見事な写真を撮り、さらにはサハラの暮らしを蝕む社会問題と対決するためのジャーナリスト活動に身を投じる。圧巻。見事。感動。
 『南洋のソングライン』は、屋久島の幻の民謡「まつばんだ」を探し求める、という興味深い旅を描いた一書。琉球由来とおぼしい「まつばんだ」の旋律を屋久島にもたらしたのが、政治的境界を越えて島々を行き来する「マージナルマン」、日本と琉球の両文化の要素を持つ海洋民だったという論は、私たちが想像するよりはるかに海上の道の交流が多かったこと、南西諸島が開かれた交点であったことを教えてくれる。ただ、音楽の探索行を文章のみで表現する、という方式の困難はぬぐいがたかった。
 『イスタンブールで青に溺れる』は、自閉スペクトラム症とADHDを併発した文学研究者による世界旅行記である。斬新な旅の切り口であり、奔出し逸走する絢爛豪華な文学的・芸術的イメージに彩られた文章も力作というほかない。ただ、本作は「旅の本」というよりむしろ意識変容のための新文学、という別ジャンルに感じられた。
 『むう風土記』。誠実に日本各地の食文化や伝統行事を探り紹介していく好著だった。著者の人柄が心地よく伝わってくる。今度は、ガイドブック的な配慮をしないですむ形で、じっくり地域の伝承に浸る著者の旅を読んでみたいと感じた。

芦原 伸
紀行作家
元「SINRA」編集長
日本旅行作家協会専務理事

著者のジャーナリストとしての視線を
高く評価したい

 松鳥むう著「むう風土記」(エイアンドエフ)は奇食さがしの旅である。世の中には不思議な食べ物があるものだ。たとえば栃木県の「しもつかれい」。煎り大豆、塩鮭の頭、大根、ニンジン、油揚げなどをブツ切りにして酢で合わせたもので、見た目には“ゲロ”にそっくり、味とて現代人のグルメ感覚とは程遠い。かような郷土食も地元の若者たちによりワークショップとなってイベント化している。そこに筆者は飛び込んで、奇食の謎解きに成功する。もとは自分の故郷、滋賀県にあった!と仰天するさまが目に見えるようだ。好奇心あり、勇気あり、奇食・珍味も筆者の手にかかると何やら楽しくなる。
 横道誠「イスタンブールで青に溺れる」(文芸春秋)は普通の紀行文ではない。発達障害という病を抱えた筆者が旅というステージで心が解放されるなかで、さまざまな障害を経験しながらの「当事者紀行」ともいうべき実験的な作品である。本書の読み方は人によりさまざまだろうが、やはり紀行の“大道”というべき旅の魅力の発掘、読者への感動は病弱ゆえに、いささか欠乏しているかのようだ。
 大石始「南海のソングライン」(キルティブックス)は音楽文化専門の筆者が屋久島にわずかに残る「まつばんだ」という古謡のルーツを訪ねる物語だ。幻となったその歌は沖縄民謡の音源に近い、という。遥かな沖縄から伝わってきたのか、あるいは鹿児島県の山川にも「まつばんだ」の地名が残っている。文献を渉猟し、現地の取材を重ねる中で、そこには鹿児島、屋久島、トカラ列島、薩南諸島、沖縄というソングラインが浮上した。読みやすい軽いタッチの文体に沿って、読み手は南海の地図を何度も見直しながら次の展開を期待するだが、今ひとつの発見が欲しかった。おそらくそれはソングラインにかぼそく連なる海の男たちの危険と冒険の歴史、果たせぬ人生の思いだったのではなかったか?
 デコート豊崎アリサ著「トゥアレグ 自由への帰路」(イースト・プレス)は他の三作品と比べると、群を抜いている。トゥアレグとはサハラ砂漠の遊牧民、塩の通商、ラクダ使い、反乱分子としてニジェール、マリ、アルジェリアの国境をまたいで暮らし、国籍をもたない。古来塩の通商を行い、他部族とは交わらず、孤高の武士、砂漠の貴族ともいわれる。筆者はこの砂漠に12年間もの間彼らとともに暮らした。その生活体験だけでも常識を破る記録だ。トゥアレグといえばベルトリッチ監督の映画「シェルタリング・スカイ」を思い出す。パリの暮らしにアンニュイを感じた女性がひとり塩キャラバンに同行し、若い男の援助でオアシスの街へとゆく。二人はつかぬ間の愛を貪りあうが、やがて町の人々に知れ、女は石打の刑に処せられる。異文化の逆襲というか、なんとも心痛む映画であった。だがこの筆者には倦怠はなく、エネルギーに満ち溢れている。父はフランス人の冒険家、母は日本人という境遇のもとで育った筆者には“冒険”は自由への道だった。はじめてのサハラ、砂漠のキャンプで星空を眺め、宇宙と砂漠の大きさを知った。その時からサハラは自分が追い求めてきた「自由」だ、と自覚した。生と死が隣り合わせの状況でも筆者の視線は前向きで明るい。
 ニジェールのウランの大量の廃棄物による被爆、さらに日本に帰国しての福島原発事故、後半のテーマは改めて次作で語った方がよかったかもしれない。いずれにしても筆者のジャーナリストとしての視線は凛としていて清く、鋭い。

種村 国夫
イラストレーター
エッセイスト
日本旅行作家協会常任理事

著者の生き方は、
ぼくの中では「不思議の国のアリサ!」

 今年の斎藤茂太賞最終選考会に残った4作品を読み終えて、私はデコート豊崎アリサの『トゥアレグ 自由への帰路』に決まり‼と思わざるを得なかった。
 昨年は若い女性のミシシッピ河のカヌー川下りというダイナミックな物語が大賞作だったが、今年も女流作家による砂漠の旅の物語が他を圧している。思ったとおり、満場一致で今年のモタ賞をもぎ取ってしまったのである。
 ミシシッピの川下りも危険と背中合わせの旅であったが、今回の砂漠の旅も常に危険と背中合わせの連続であったに違いない。ところが母親が日本人、父親がフランス人のアリサさんは、そんなことはおくびにも見せず、ぐいぐい乗り切っていく。その圧倒的な精神力というか生き方が、何が彼女をそうさせるのかという思いとともに、最後までたとえようもない一つの不思議として僕の心に響くのであった。まさに「不思議の国のアリサ!」なのである。
 安全神話の中だけでのんびり生きる日本人の多くは、この著作からいったいどんな感覚を味わうのか? 僕は今、楽しみになってきている。また同時に、このような世界に進んで身を投じ続けるアリサさんの生きざまが、今後どのような世界を生み出していくのか、もう一つの大きな楽しみとなって僕の心をワクワクさせるのである。
 さて、ほかの候補作3作についてだが、その感想はアリサさんの作品の感動には残念ながら届かない、と言わざるを得ないのである。しかしながらひとつひとつはそのジャンルと方向性は違えども佳作であることは間違いない。もし、アリサ作品がなかったとしたら、大石始の『南洋のソングライン 幻の屋久島古謡を追って』が僕の好みとして選考俎上に上がっていたと思われる。

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