Saitou Shigeta Award Vol.9
第9回斎藤茂太賞
第9回斎藤茂太賞授賞式開催
一般社団法人日本旅行作家協会(会長/下重暁子・会員数約180人)は、創立会長の故・斎藤茂太氏(作家・精神科医)の功績をたたえ、またその志を引き継ぐため、氏の生誕100年、没後10年にあたる2016年、旅にかかわる優れた著作を表彰する「斎藤茂太賞」を創設しました。
第9回の今年は、2023年に出版された紀行・旅行記、旅に関するエッセイ及びノンフィクション作品を対象とし、会員による数次の選考を経て、去る2024年5月28日、下重暁子(作家)、椎名誠(作家)、大岡玲(作家)、芦原伸(紀行作家・元SINRA編集長)、種村国夫(イラストレーター・エッセイスト)の5氏によって最終選考が行われ、小坂洋右著の『アイヌの時空を旅する 奪われぬ魂』(藤原書店)が受賞作に、高田晃太郎著『ロバのスーコと旅をする』(河出書房新社)が選考委員特別賞に選ばれました。
授賞式は7月25日に日本プレスセンター内のレストランアラスカで行われ、選考委員の5氏をはじめ日本旅行作家協会の会員50名以上が集まり、著者本人から直接語られる、この作品が生まれるに至った課程に興味深く耳を傾けるとともに、受賞を心から祝福しました。(写真:戸川覚)
斎藤茂太賞は賞状と記念トロフィー、賞金30万円。選考委員特別賞は賞状と賞金10万円。今回も、サントリーホールディングス(株)、(株)阪急阪神ビジネストラベル、日進ホールディングス(株)に協賛いただきました。心より感謝いたします。
第9回斎藤茂太賞受賞作
アイヌの時空を旅する―奪われぬ魂
小坂洋右(藤原書店)
川をカヌーで、海をカヤックで、冬の山岳地帯を山スキーでたどり、北海道各地を訪ねて歴史を掘り起こし、アイヌ民族の世界観や自然観に迫る。
著者プロフィール
1961年札幌市生まれ。北海道大学卒。英国オックスフオード大学口イター・ジャーナリスト・プログラム修了。アイヌ民族博物館学芸員などを経て北海道新聞記者(論説委員、編集委員)。現在は北星学園大学非常動講師。アイヌ民族に関する著書が多数あり、本書では第36回和辻哲郎文化賞(一般部門)も受賞している。北海道新聞の北海道庁公費乱用取材班として新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞『<ルポ>原発はやめられる』で第27回地方出版文化功労賞奨励賞を受賞。
第9回斎藤茂太賞 選考委員特別賞受賞作
ロバのスーコと旅をする
高田晃太郎(河出書房新社)
ロバと歩いて旅をするために新聞記者の職を辞した著者が、朗らかなロバたちと歩いた日々、出会い、別れ、葛藤をを綴る。
著者プロフィール
1989年京都府生まれ。北海道大学卒業。北海道新聞、十勝毎日新聞の記者を経て、スぺイン巡礼で歩く旅の自由さに触れ、遊牧民に口バの扱い方を教わったことを機に、口バと旅する。「太郎丸」名義でその様子をSNSに投稿し一躍話題に。2023年夏から口バとともに日本一周を始める。いずれ十勝に戻りたいと考えている。趣味は渓流釣りで、最も通ったのは芽室町のピパイ口川。
第9回斎藤茂太賞最終候補作
『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』石澤義治(WAVE出版)
『ロバのスーコと旅をする』高田晃太郎(河出書房新書)
『アイヌの時空を旅する』小坂洋右(藤原書店)
第6回旅の良書
昨年に続き斎藤茂太賞受賞作以外の10の優れた作品を「第6回旅の良書」に選定、授賞式の最後に発表しました。
選評(見出しはいずれも受賞作への評価)
下重 暁子
作家
日本旅行作家協会会長
受賞作は読後の印象のインパクトが大きかった
優れたノンフィクションとはこうした臨場感だろう
今回はこれまでの同賞の選考でいちばん難しかったように思う。それぞれの作品が際立った特徴をもっており、一長一短あったということだろうか。ただ、私が作品評価のよりどころとするのは、読み終わったあとの印象のインパクトだ。その点で最も心に残ったのは間違いなく『アイヌの時空を旅する――奪われぬ魂』だった。学術的資料や分析、解説が多用され、紀行文としてはたやすく読めるものではないが、実際の歴史事件の現場に立ったことでその息遣いが伝わってくる。優れたノンフィクションとはこうした臨場感だろう。候補3作品の中で、試読を重ねてきた24名の実行委員の評価が最も高かったのが本作品と知り、同感とともに納得した次第である。
『ロバのスーコと旅をする』は、エジプトに数カ月間滞在したときのことを思い出しながら楽しく読みすすめることができた。ロバは日本ではあまり見かけないが、砂漠地方では大切な家畜。飼いやすく、ものを運ばせたりするのにとても有用で、ラクダより重用されている。ギザのピラミッドのあたりによく夕涼みに行ったが、年老いた人がロバにたくさんの荷物を積んで砂漠へ向かって旅に出る姿をよく見かけたものだ。また、明け方に周りから聞こえてくる、ロバの哀愁を帯びたけたたましい鳴き声に悩まされもした。ともかく、いったん手なずけると、よく働くしかわいく感じられる動物であることは知っているので、著者がロバの魅力に引き込まれ、いっしょに旅をすることになった気持ちにとても共感できた。
『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』は、軽自動車に車中泊しながら世界中を旅した夫婦の記録。想像を絶する不自由さに、同行した奥さんに本音の感想を聞きたくなった。その気持ちはよく覚えているが、内容はというと、少しも頭に浮かんでこない。臨場感や、旅のユニークさを読者に伝える筆力に欠けていた結果とみるべきだろうか。ちょっと残念だった。
椎名 誠
作家
日本旅行作家協会名誉会員
おもしろさと読みやすさナンバーワンに加え
旅のユニークさで特別賞の評価
直感的に今年の斎藤茂太賞に選ばれるのは『ロバのスーコと旅をする』だと思った。おもしろさ、読みやすさではナンバーワンだからである。これまでの同賞の受賞作の路線から外れていないように思える。
動物と一緒に旅をする話は、何にしても視点がいろいろ分かれるので、旅する者の目、お供の動物の目、行き過ぎる旅先の人々の目などが入れ替わり、面白さが増す。ロバと青年が旅する話は、以前にも南米を行く、やはり日本人青年の旅行記があり、それを強烈に思い出したが、このスーコは動物が持っているやさしさや悲しさをいろいろな場面で体現しているようであり、読者は見事に一緒の旅をしている気分になる。
それにしてもロバは食べること、異性への関心という生き物の単純な二つの原点に気持ちが圧倒的に集中しており、わかりやすくも面白い。この旅人は、帰国して日本でもロバと旅をしているらしいが、そんな話も読んでみたいと思った。
旅の形はさまざまであっていいとはいうものの、文学賞を決定するのはやはり文章力だろう。とすれば3作品のなかでは『アイヌの時空を旅する』が傑出している。ただ、大岡玲委員からも『ロバのスーコと旅をする』も旅のユニークさ、作家の純粋な視線に捨てがたい魅力があるとの発言があり選考委員特別賞をおくることが決まった。
大岡 玲
作家
東京経済大学教授
アイヌの人々の視界を内在化させた思考
その視界に広がるアイヌの歴史のなんと壮大なことか
『アイヌの時空を旅する』には、旅の本という以上に、アイヌの文化と歴史の研究書といった重厚さがある。ただし、「アイヌ文化はかつて~だった」といった、いわゆる研究書的「過去形」には決して陥らない。アイヌが経験した歴史を身体的に追体験するべく、著者は彼らの交易の「旅」を再現する。知床岬をシーカヤックで回航し、千歳川と石狩川が作りだす「川の道」をカヌーでたどるその行程は、北海道でのアウトドア活動大好きの私でも「絶対やりたくない」と感じるような、ほとんど命がけの冒険だ。そんな冒険によって著者の内部に生まれるのは、アイヌの人々の視界を内在化させた思考だ。その視界に広がるアイヌの歴史のなんと壮大なことか。広い北方海域を縦横無尽に渡り歩き、元寇以前にモンゴル帝国とやりあって相手をおそれさせたほどの自由な人々。その彼らが、和人に抑圧され、やがて同化政策によって独自の文化を放棄させられる。が、その悲哀を直視しつつ、アイヌ文化は決して死んではいないのだ、ということを力強く伝えてくれる力作である。
キリスト教の福音書には、イエスがロバに乗ってエルサレムに入城したとある。『ロバのスーコと旅をする』を読みはじめた途端、頭にそんなことが浮かんだ。もちろん、ロバが好き、という気持ちにまかせて、目的もなく異国を歩く著者には、イエスのような理想があるわけではない。しかし、ロバのこと以外あまり考えていない著者の「不思議さ」が、彼とロバに関わる人々の精神を揺るがしさざ波を立てていく。そのありさまには、ちょっと神秘的なところもあって、単なる面白旅行記とは異なった滋味がある。
『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』は、一読唖然呆然のクレージー・ジャーニーだ。理想の移住地を探し、軽自動車を駆って夫婦で世界を放浪する。これだけでも充分スゴイのに、ご夫婦に降りかかるアクシデントもハンパない。過激youtuberの配信百人分を一気に見た、というような印象だ。どうかご無事で、と祈りたくなった。
芦原 伸
紀行作家
元「SINRA」編集長
日本旅行作家協会専務理事
現地の風景描写や出会った人たちとの語りは臨場感にあふれ、
歴史を現場から検証するノンフィクションの王道を実践している
石澤義治著『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』(WAVE出版)は、著者夫婦が軽自動車で2015年から“終(つい)の住処”の楽園を求め、ユーラシア大陸を横断、南アフリカへと到達するという冒険リポートである。訪問国120か国、走行距離20万キロ、野宿したり、警察に疑われたり、クーデターさなかの国で銃声を聞いたりと、熾烈な冒険体験を活写してくれ、楽しく読めた。ただ本企画は書籍というよりはTVバラエティ番組的要素が強く、作者もそれを意識しながら体験を綴ってきたように思える。特筆すべきは各所にQRコードが表示されており、ウェブサイトで映像が見られること。紙とITとの結合の未来の可能性を提示している。
高田晃太郎著『ロバのスーコと旅をする』(河出書房新書)はロバをパートナーとして地球の辺境を連れて歩く物語である。著者がスペイン巡礼を経験した折、「歩く旅」の楽しさを実感し、ならばと荷物運びにロバを購入した。イラン、トルコ、モロッコといまだロバが細々と役に立っている国々をめぐり、野外で夜を明かしたり、親切な住民に宿を提供されたり、スパイ容疑で警察に尾行されるなどさまざまな苦楽を伴いながら旅を続ける。やがて関心事が相棒たるロバに集中され、ロバ中心の旅になってゆく過程がなんとも面白い。食欲と性欲の権化のような鈍重な動物にこれだけの愛情を注ぐことができるのか!と驚くばかり。動物愛護協会からは表彰状ものだろう。35歳という若さ、冒険好き、純真な心があってのことこそと思う。文章は平易、素直でドキドキしながら楽しく一気に読破できる快作である。
小坂洋右『アイヌの時空を旅する』(藤原書店)は北海道内に残るアイヌゆかりの地を訪ね、その歴史と現在を旅人の目で書き下ろしたノンフィクションだ。著者はアイヌ民族博物館の学芸員を経て新聞記者という経験があり、そのキャリアの両面の良さが発揮されている。古書を渉猟し、数多くの研究資料を紐解きながら歴史事件の真相を追い、現場では川はカヌー、海はシーカヤック、雪山は山スキーを使うという手法も新鮮である。
現地の風景描写や出会った人たちとの語りは臨場感にあふれており、まさに歴史を現場から検証しようとするノンフィクションの王道を実践している。
評者はアイヌに関して、一通り学んだはずだったが、例えば太平洋(勇払)から日本海(石狩)へ抜ける「川の道」など、文献では知っていたが、勇払川、ウトナイ湖、千歳川、石狩川と具体的にたどる川筋は本書ではじめて知った。また現法で禁じられているアイヌの伝統的な「鮭の川漁」に対して敢然と戦う紋別の畠山敏エカシの近況が知ることができて、懐かしく思った。そういう意味で、本書は特異なアイヌ文化を記者の目線で具体的に解きほぐし、アイヌ文化にさほど馴染みのない一般読者にも読みやすくお勧めだ。ただ難点を言えば、旅そのものがアウトドアスポーツなので、行動と考察が分断しており、あるところだけ読むと、冒険ルポか、と勘違いされる危惧もある。道具から一歩離れ、二本の足でじっくりと草原を歩きながらの視点も欲しかった。
以上三作のなかでは表現力、文章力という観点からは『アイヌの時空を旅する』が傑出しており、評者はこの作品を一押しした。
種村 国夫
イラストレーター
エッセイスト
日本旅行作家協会常任理事
動物と一緒に旅をする、と聞いただけでも心が浮き立ってきます
この時代にロバを相棒に旅をする人なんていますか?
今年の第9回斎藤茂太賞の最終選考会では、私はロバを相棒としてイラン、トルコそしてモロッコと旅した作品『ロバのスーコと旅をする』を候補作として推薦しました。しかし、結果として『アイヌの時空を旅する―奪われぬ魂』に賞を譲ることとなり、私の推薦は残念ながら……、と思いきや、大岡さん、椎名さんの推薦で、いやもちろん私の強い思いもあって「選考委員特別賞」を贈ることとなったのは、喜ばしい限りです。
私は自身の生い立ちの中で、常に犬や猫と共に過ごしてきています。ですから動物と一緒に旅をする、と聞いただけでも心が浮き立ってきます。ましてや相棒がロバです。この時代にロバを相棒に旅をする人なんていますか? 21世紀のIT時代、いやいやAI時代と言われるこの現代にあって、ロバと旅をするんです! 私は一気に読み終えて今回の斎藤茂太賞はこれでキマリ!と確信しました。もちろん『アイヌの時空を旅する―奪われぬ魂』も素晴らしい内容です。しかし、ロバと旅するという唯一無二のそこはかとないユーモアさえ含んだこの旅こそ、斎藤茂太の旅の精神にも通じる世界があるのではと思ったのです。
もう一冊の『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』はスケールの大きな作品で、軽自動車に乗って世界を足かけ7年旅をする夫婦の物語です。驚きのエピソード満載で読む人を飽きさせません。しかし、しかしです。車や自転車で旅をする人は残念ながらけっこういらっしゃる。軽自動車で夫婦と言えども私はロバを相棒の方に軍配をあげてしまったのでした。
過去の受賞作品および授賞式のもようはこちら
第9回(2023年に出版された書籍)
アイヌの時空を旅する 奪われぬ魂
小坂洋右:著(藤原書店)
第8回(2022年に出版された書籍)
トゥアレグ 自由への帰路
デコート豊崎アリサ:著(イースト・プレス)
第7回(2021年に出版された書籍)
ホームレス女子大生 川を下る inミシシッピ川
佐藤ジョアナ玲子:著(報知新聞社)
第6回(2020年に出版された書籍)
冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ
山本高樹:著(雷鳥社)
第5回(2019年年に出版された書籍)
旅の断片
若菜晃子:著(アノニマ・スタジオ/KYC中央出版)
第4回(2018年に出版された書籍)
おでかけは最高のリハビリ!
要介護5の母とウィーンを旅する
たかはたゆきこ:著(雷鳥社)
第3回(2017年に出版された書籍)
表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
若林正恭:著(KADOKAWA)
第2回(2016年に出版された書籍)
地図マニア 空想の旅
今尾 恵介:著(集英社インターナショナル)
第1回(2015年に出版された書籍)
菌世界紀行――誰も知らないきのこを追って
星野 保:著(岩波書店)