フランス 1983年に文化遺産として登録
中村浩美/文・写真
ナンシーは、フランス東北部ロレーヌ地方の中心都市。パリ東駅から特急で2時間40分ほどだ。アール・ヌーボー発祥の地として知られ、エミール・ガレの出身地でもある。町の歴史は7世紀に遡るが、近世以降の建築様式が残るところに特徴がある。ナンシー中心部にある18世紀に整備されたスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場という三つの広場が、1983年に世界遺産に登録された。
スタニスラス広場は、1751年から1755年の間に、ロレーヌ公でルイ15世の岳父、スタニスラス・レスチンスキーが、娘婿の国王を称えて建設したもので、国王広場と命名し中央にルイ15世像を建てた。106m×124mのスタニスラス広場を設計したのは、建築家エマニュエル・エレで、広場を囲むファサードが美しい市庁舎と付属施設(現在はナンシー美術館、オペラ座)も、エレの設計だ。広場の入り口と広場の四隅に建つ鉄格子の門は、天才金具工芸師ジャン・ラムールの作で、広場を囲む建築と見事に融合している。錬鉄製の格子は金色に塗られ、渦巻き模様や花形模様に囲まれた紋章が輝く。そのデザインの優美さと繊細さに魅了される。スタニスラス広場は、エレとラムールの指揮のもとに作られた広場建築の傑作だ。広場中央にあったルイ15世像はフランス革命で壊されたが、1831年に地域の寄付をもとにスタニスラスの像が造られ設置された。名称もこの時にスタニスラス広場に改称された。2004年から1年がかりで、より建設当時に近づける修復工事が行なわれ、2005年には広場の250周年祭が行なわれた。
スタニスラス広場北側の凱旋門を抜けたところにあるのが、カリエール広場。細長い広場だ。その先にロレーヌの官邸、ロレーヌ公宮殿がある。アリアンス広場は、スタニスラス広場の東側に位置する、中央に噴水がある小さな広場だ。
スタニスラス広場をはさんで市庁舎の反対側に、現在グラン・オテル・デ・ラ・レーヌになっている館がある。1770年5月9日に、マリー・アントワネットが滞在した館として有名だ。ウイーンからパリへ向かう途中で、ここに滞在したマリー・アントワネットは、ルイ16世と結婚しヴェルサイユ宮殿の王妃となった。1810年3月2日には、マリー・ルイーズが、婚約者のナポレオンに会いに行く途中で滞在している。
この館がホテルになったのは1890年で、マリー・アントワネットに因んだ内装を施し、グラン・オテル・デ・ラ・レーヌとしてオープンした。それ以来、世界各国の貴顕や芸術家を迎えた歴史を誇り、現在では芸能界やスポーツ界のスーパースターのナンシーでの定宿となっている。ルイ15世様式の家具とバカラのシャンデリアで飾られたレストラン「ル・スタニスラス」(シェフはミシェル・ドーヴィル)は、美食家によく知られた名店だ。ここで広場の夜景を眺めながらディナーを共にし、ホテルと広場の歴史をアリネ・アルタズ・スタインバック支配人(当時)にうかがったのは、1996年11月のことだった。
このホテルに宿泊した翌日は11月11日、アルミスティスの休日だった。第1次世界大戦の休戦記念日で、フランス全土で戦没者慰霊の催しが行なわれる日だ。広場を立ち入り禁止にして、早朝から小雨の中で、軍隊が慰霊式典の準備をしていたことを思い出す。
写真はスタニスラス広場。すべて1996年11月の撮影。