Saitou Shigeta Travel Literature Award Vol.11
第11回斎藤茂太 旅の文学賞決定

第11回斎藤茂太 旅の文学賞決定

一般社団法人 日本旅行作家協会(下重暁子会長、会員数168人)は、第10回「斎藤茂太 旅の文学賞」の選考会を2026年5月21日(木)にライオン銀座七丁目店で開催し、下重暁子、椎名誠、大岡玲、芦原伸の4名の最終選考委員により最終候補作3作品から、第11回受賞作に『明日も、森のどこかで』上田大作(閑人堂)を選出いたしました。

「斎藤茂太 旅の文学賞」は、長年にわたり世界と日本の旅行文化の発展に貢献した当協会創立会長の故・斎藤茂太氏の功績をたたえ、その志を引き継ぐために2016年に「斎藤茂太賞」として創設されたもので、節目となった第10回より、賞の名称を「斎藤茂太 旅の文学賞」へと改称しました。前年に発表された紀行文、エッセイ、ノンフィクションのジャンルから旅にかかわる優れた著作を選考し表彰するものです。

第11回「斎藤茂太 旅の文学賞」受賞作

明日も、森のどこかで
上田大作(閑人堂)

どこかの森で。森のどこかで。厳しくも美しい野性の日常と、命をつなぐ特別な瞬間が日々繰り返されている。大自然のリズムに溶け込み、徹底的に観察することで見えてきた、多様な生き物たちが織りなす万華鏡のような物語。真夜中に飛来したシマフクロウとの奇妙な交流。春の草原でエゾシカの出産に立ち会った日。雲上の楽園でヒグマの親子と過ごした、忘れられない夏。北海道の自然を20年にわたって記録してきた写真家による、野生動物の息づかいを感じるエッセイ集(カラー写真21点・白黒写真20点収録)

著者プロフィール
1977年、山口県下関市生まれ。会社員を経て2006年から独学で写真を撮りはじめる。北海道の道東地域や大雪山国立公園を主なフィールドとして、年間250日近くキャンピングカーやテントで生活しながら現在まで撮影を続ける。2013年、冬の風蓮湖を取材した作品で田淵行男賞を受賞。2021年、動物カメラマンとして『情熱大陸』(毎日放送)に出演。近年は海外のプロダクションが制作する野生動物のドキュメンタリー番組に携わるなど、映像の世界にも活動の場を広げている。

第11回「斎藤茂太 旅の文学賞」最終候補作

『フォルモサ南方奇譚』倉本知明(春秋社)
『中国TikTok民俗学 スマホからはじまる珍神探訪』大谷亨(NHK出版)
『明日も、森のどこかで』上田大作(閑人堂)

第8回旅の良書

前年に続き斎藤茂太賞受賞作以外の11の優れた作品を「第8回旅の良書」に選定しました。

選評(見出しはいずれも受賞作への評価)

下重 暁子
作家
日本旅行作家協会会長

「斎藤茂太 旅の文学賞」の本質とは何かを、
改めて深く考えさせられた

  第11回を迎えた今回、選考はかつてない困難さであった。フィールドワークに基づいた作品が多く、「斎藤茂太 旅の文学賞」の本質とは何かを、改めて深く考えさせられたからである。
 最終候補に残った「明日も、森のどこかで」「フォルモサ南方奇譚」「中国TikTok民俗学 スマホからはじまる珍神探訪」の3冊はいずれも並々ならぬ労作であり、濃厚な内容を備えていた。
 こうした選考に臨む際、私は井上ひさし氏の高名な言葉を思い起こす。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに……」
 この言葉を念頭に置きながら、各作品を読み進めていった。
「フォルモサ南方奇譚」において、著者は多くの民族がひしめき合う台湾南部に伝わる数々の奇譚を読み解き、現地での検証を重ねていく。
 大国の利害に翻弄される小島の住人たち、そして台湾を取り巻く国々の中には、清朝から割譲され、植民地支配を行った我が国も存在する。日本は第二次世界大戦において被害者であると同時に、大いなる加害者でもあったのだ。
 著者は休日に中古のバイクを駆使して民話や伝説、怪談、そして数々の日本人のエピソードを掘り起こしていく。台湾と日本の関係性や時代背景が克明に描かれ、重い内容が明確かつ繊細な文章で表現されている。しかし、やや研究書に近い硬さが残る点が惜しまれる。
「中国TikTok民俗学」の著者は自称「日曜民族学者」である。休日になれば中国各地へフィールドワークに赴き、民間信仰の調査に取り組んでいる。とはいえ、中国発祥のSNSであるTikTokを端緒としているため、学術的というよりは猥雑であり、民衆に根差した珍神やオカルト、シャーマンなどの話題に満ちている。
 TikTokを駆使したディープな取材やその斬新さには惹かれるものの、やや自己満足に偏っている感が否めず、読者に寄り添うという視点において、物足りなさを覚えてしまった。
 その点、私が推した受賞作「明日も、森のどこかで」は表現がやさしく細やかで、心に真っ直ぐ伝わってくる。年間250日近くを北海道で暮らし、20年間にわたりじっくり自然と向き合ってきた、人生そのものを懸けた感動が全編から伝わってくる。読み進めるうちに、まるで自分自身が森の中で動物たちとともに佇んでいるかのような、深い一体感を覚える名作である。
 作者自身を少し書き込んであれば、さらによかったと思う。

椎名 誠
作家
日本旅行作家協会副会長

日々のしとねを大地に求めたこの旅人の話は
読む人の胸を打つ基本的な力を持っているような気がする。

 古来、個の旅というのは求心的なものか、あるいは開放的なものか、大きく二方向に分かれていたような気がする。昔から旅に大きな目的を持った人が、その目的に向かってまず歩いた。世界中にたくさんの偉大で力強い旅人が生まれた。その旅人の心が辻語りになったり、法師の説く教えになったりした。やがて旅は人の心を解放させていく手立てになり、たくさんの功績を残した。
 今の私たちはなぜ旅に出るのだろう。
 今回、中国と台湾の民間信仰を丁寧に追及し、俎上に上せた二つの作品でまず考えてみる。この二作品は誰が、何のために、誰にこの旅の成果を提供しようとしているのか、私はそこのところがよくわからないままこの二つの労作を読んだ。私自身が続けている旅も実のところ何のためなのかよくわかっていないものだから、この二作品を読んでも実のところ満たされないままである。めずらしく不思議なものが沢山あったけれど私には感動はなかった。
 もう一作の北海道にへばりついて、冷気を吸い、地べたに這いつくばるようにしてとらまえた大地と空気の感触は、この旅人の求めたものに他ならないのだろうと、この本の息吹からうかがい知ることができる。この人の旅は自己の欲求を突き詰めたものなのだろう。旅の最もわかりやすいひとつの方法がこれなのだろうか。日々のしとねを大地に求めたこの旅人の話は読む人の胸を打つ基本的な力を持っているような気がする。

大岡 玲
作家
東京経済大学教授

撮影のその瞬間に私たち読者をワープさせてくれる。
どこまでも澄明な美しさがみなぎる作品である。

 奇天烈のオンパレード。『中国TikTok民俗学』の印象は、まずそれだ。「逆立ち張五郎」にはじまり、「セクシー九尾狐」ときて、死神「無常」という、どれもまがまがしい土俗的信仰のアイコンである。中国が儒教に代表される「正教」の裏側に、あまたの奇怪な「宗教」「信仰」を擁してきた古来の歴史は知ってはいたが、このように生々しくそれらの現状を突きつけられると、思わず息をのむ。また、そうしたアイコンを追うための最重要ツールが、TikTokだというところも意表をつく。まことに面白い。いかがわしさやまがまがしさが「信仰」に転じていく過程も興味深い。惜しかったのは、探求がおおむね珍奇さの段階にとどまった点である。「無常」と「中原」のかかわりを追究するくだりのように、全体がもっと「中国」の探究に有機的に結びついていたら、という感想を持った。
 『フォルモサ南方奇譚』は、時代に圧殺された者のまがまがしい怨念や霊性といった側面では、『中国TikTok民俗学』とある意味似通っていた。しかし、その文体や思念の方向性は、大きく異なっている。本書は、台湾の中でも話題にされることが少ない「南台湾」の近代史に焦点を当て、独自の方法論で「語り」=「騙り」を展開している。どういう方法論かというと、実際の歴史や人物に関してのノンフィクション的な文章と、史料の空隙から立ち上る亡魂の気配を創造的に練り上げて語る奇譚とを接合して一章に仕上げていく、というもの。文学的でユニークだ。重厚きわまるそれらの章が提示してくれるのは、近代以降、台湾を支配しようと試みた外来の勢力に対して、みずからの生活と環境を守るために抵抗しつづけた原住民族の姿である。外来の視線で語られることが普通になっている「台湾史」には登場しない、忘れ去られてさえいる彼らの「思念」や「怨念」を代弁する「依坐(よりまし)」であるかように本書は機能する。台湾を深く知りたい人々にとっては、得がたい創造的研究書だろう。
 この一、二年というもの、熊の人里への出没と人的被害が激増している。その理由についてさまざまな見方があるが、熊と人との距離をかつての感覚で考えることがむずかしくなったのはまちがいない。しかし、『明日も、森のどこかで』の「森に還るカラフトマス」につづられた次の文章を読むと、自然の摂理による適正な距離はきちんとあったし、今もそれを取り戻すことは不可能ではない、と思えてくる。「巨グマは僕の気配を察すると、大きな臀(でん)部をこちらに向け、上流へと静かに進みはじめた。/ その後を追おうとした瞬間、彼は歩みを止め、ゆっくりと振り返って穏やかな眼差しで僕を見つめた。『ここから先へは、きてはいけない』―― その凛とした振る舞いに、巨グマがそう言っているように感じた。」
 年間二百五十日にも及ぶフィールドワークを二十年間重ねて、北海道の自然に暮らす生き物たちを写真と文章でとらえ続けた著者が、撮影のその瞬間に私たち読者をワープさせてくれる。どこまでも澄明な美しさがみなぎる作品である。

芦原 伸
紀行作家
元「SINRA」編集長
日本旅行作家協会副会長

3作品から選ぶのは「王道」なきゆえ困難で、
正直いうと今回は「該当作品なし」なのだが

  今回の選考は今までにないほど選者自身が混迷した。
 というのは、この賞の立ち位置がどの辺りにあるのかが問われる作品群だったからだ。
 3作品選ばれているが、いずれの作品も紀行、旅行記、つまり「旅の王道」に関して物語る作品ではない。
 「旅の文学賞」としたからには、やはり本命の旅。旅の豊かさや楽しさ、意義、異国旅情あるいは異文化との新鮮な体験など、「移動の体験」が基調となるべき、と思うのだが、今回の作品にはどれもかような本流からは外れている。
 ただ「明日も、森のどこかで」(上田大作著)に関しては、自然との濃厚な接触、野生動物との邂逅があり、筆者の純粋な好奇心や感動に癒される。専門は写真家でありながら、丁寧な言葉使い、言葉選びにも好感がもてた。北海道の大自然の魅力が十分に読者に伝わってくる。
あとの二作はいずれも傾向が似ており、一方は民俗学、一方は歴史の探求。大雑把に言えば「異端文化探索書」というべきジャンルである。
 21世紀の現代、旅はもはや物見遊山の域はとうに過ぎて、多様化しており、さまざまな形が旅(移動)のテーマとなっている。もはや旅行記と研究記録は分け隔てるのが困難な段階にあるといえよう。ただ基調となるのが「移動する好奇心(発見、快楽)」、つまりフィールドワークを旅の範疇とすれば、2作品は賞候補と成り得るだろう。だがこの境界線を引くのはかなり難しく、研究書に近いものが「旅の文学賞」候補となる可能性を大いに含んでいる。この境界線は「斎藤茂太 旅の文学賞」の規定を定めることにもなり、今後委員会での十分な討議が必要となるだろう。
 「中国TikTok民俗学」の著者、大谷亨氏は中国、厦門市に住む厦門大学大学院の助理教授で、中国民俗学の専門家である。彼の研究(好奇心)は現代中国での民間信仰だ。文革以降、中国に民間信仰が生き続けていることすら意外だが、ところが「逆立ちする張五郎」や「セクシーな九尾狐」、はたまた「大黒様」と庶民のなかに仏教でもなく、道教でもない異端信仰が息づいていることに驚かされる。その調査を現代の情報兵器とでもいうべきTikTokを使いながら現場検証を行うことに新鮮さを感じた。
 著者のめざすところの究極は「無常」(死神)だろう。死神信仰が福建、広東、湖南という化外の地のみならず、古代文明発祥の地・中原(河南)にも存在し、今なお庶民生活に浸透していることの驚きであり、それは古代シャーマニズムそのものが今も息づいていることに他ならない。本著はかような「誰も知らない中国」の発見記である。文体は40歳代の若者らしく「昭和軽薄体」とまではゆかないが、軽快だ。シニア読者はスマモ片手に「陽キャコスプレ」とか「テンプレ化」といった現代IT用語を探りながら理解し読み進む努力が伴うことだろう。
 「フェルモサ南方奇譚」の著者、倉本知明氏は台湾の南、高雄に暮らす台湾現代文学の研究者、大学准教授である。両作品はともに現代的な中国にあって古き、消えゆく物語を捜し歩く、という点、二人とも大学職員、それもフィールドワーカーという点で非常に趣向が似ている。厦門と高雄の直線距離は320kmに過ぎないから、東京と大阪ほどの隔たりである。中国と台湾の現代の緊迫状況が背景にあるので、この2作品が同時に選ばれたのだろうか、と両作品の因縁を感じてしまった。
「フェルモサ」とはポルトガル語で「美麗島」を示した台湾の古名のようだ。古い国名をタイトルとしたように、本著は台湾南方の歴史探訪記である。台湾は長らく先住民族がそれぞれの暮らしをしてきたが、16世紀の大航海時代にオランダ、スペインの植民地となり、17世紀後半から19世紀まで明朝、清朝の支配下となり、日清戦争以来50年間、日本の植民地となり、戦後は蒋介石の国民党が入植したという歴史がある。筆者はその歴史の残光を相棒(中古バイク)とともに求め歩く。
前著と同じく、筆者も「陰廟」に気づき、その由来を探るが、そこに報われない人の運命を見出し、
――ぼくたちの生は、死者たちに対する弁明の上に築かれている。
と、表現する。
 また高雄港と台湾海峡を一望する英国領事館の片隅あるスウィンホーの肖像を見て、英国領事であると同時に台湾博物学の草分けであった彼の悲運な生涯に思いを馳せ、
――闇夜が吐き出す墨汁のような気息には、亡霊たちの思念が溶けやすい。
 等々、表現は文芸的であり、詩的でもある。
 ただTikTokに較べると、台湾のもはや忘却の彼方にある歴史は一般読者にとってどれほどの訴求力があるのか、悩めるところだ。選者にとっては、台南は乃木希典とか、児玉源太郎の足跡しか知識がない。乃木が蛮族と戦って征伐し、各地に学校を建て質実剛健を子弟らに学ばせたとか、児玉が後藤新平と新渡戸稲造を招聘し、台湾に産業を興したという日本が台湾の近代化に寄与した業績、あるいは日本帝国に寄与した原住民(高砂族と称された)の歴史しか知らなかったが、実は初代総督の樺山資紀が原住民を無差別殺戮をしたことなどは本書ではじめて得た知識であった。
 今まさに本国が侵攻される危機にある台湾だが、消滅する歴史の幻影から学ぶことの意味を本書は問うている。
 以上の3作品から選ぶのは「王道」なきゆえ困難で、正直いうと今回は「該当作品なし」なのだが、委員会メンバーの端くれとして、敢えて選ぶとすれば「中国TikTok民俗学」となる。ただNETで探ってみると、版元がNHK出版のせいか、本著及び著者の露出が極めて多いことに啞然とする。元に戻ると本賞の規定として「新人発掘」もその要因の一つだと思うが、本著に対して周辺情報の露出がすでに多いところが気になる点である。

過去の受賞作品および授賞式のもようはこちら