チェコ 2001年に文化遺産として登録
沖島博美/文・写真
世界遺産というと、古代遺跡や中世の荘厳な建物を思い浮かべる。一般的にはそのようなものが多いが、中には「え?これが!」と不思議に思うものもある。しかしよく知ってみると、「なるほど!」と頷けるのである。チェコの文化遺産に登録されているトゥーゲントハット邸(Vila Tugendhat)などはその例でないだろうか。
ここは南モラヴィア州のブルノ。プラハに次ぐチェコで第2の都市である。プラハから鉄道でウィーンへ行くときは必ず通過する。旧市街には2つの広場があり、毎日午前中に市が開かれて賑わっている。そんな中心部から少し離れた丘の上、ブルノ市の北側に広がる住宅地。庭付きの邸宅が整然と並ぶ中に、一軒だけモダンな建物がある。これがトゥーゲントハット邸である。現在の私たちから見れば、ご近所にでもありそうな立派な邸宅。敷地も広く、建物も大きな豪邸ではあるけれど、世界遺産と聞くと「なぜ?」と首をかしげたくなる。しかしこれが今から80年以上も前に建てられた、最初のモダン建築のひとつであると知ると、それは画期的な建物であったことが判る。設計者はドイツ・モダニズムを代表する建築家ミース・ファン・デァ・ローエである。
通りから見えるのはガレージと玄関。敷地は南斜面なので下へ降りる2階建てになっている。トゥーゲントハットというのは建物の依頼主の名前。ブルノの実業家だったトゥーゲンハット氏は1928年、夫人が両親から相続した土地に建てる家をミースに依頼した。ミースが最初に提出した案がすぐ受け入れられ、翌年から工事が始まる。上階には玄関と寝室が、下の階は広いワンルームタイプの部屋で、居間、食堂、書斎になっている。徹底した機能主義による間仕切りのない家というものは当時存在しなかった。また、壁の開口部がこんなに大きく、ガラス張りのような家もなかった。下の階は南側部分が全面ガラスになっている。ここから見渡すブルノ市街の眺めは最高で、13世紀に建てられたシュピルベルク城も前方に見える。
モダン住宅建築の先駆けとなったこの館にトゥーゲントハット夫妻が住んだのはわずか数年だった。1930年に完成したもののナチスドイツがチェコスロヴァキアへ侵攻してくる。ユダヤ系だった一家は1938年にスイスへ逃れ、その後ベネズエラへ移住する。しかし戦争が終わっても故郷へ戻ることはなかった。
館は戦後に国有となり、チェコスロヴァキアが平和的に分離独立した1992年の会談と調印式はここで行われた。数奇な運目を辿り、また歴史的にも重要な意味を持つトゥーゲントハット邸は2001年に世界遺産に登録された。