エスファハーンのイマーム広場

イラン 1979年に文化遺産として登録  

細田尚子/文・写真

「おしん」体験@イラン

 イランはイスラム教徒の1割を占めるシーア派の国。観光地では女子高生が私と写真を撮ろうと順番待ちをする熱狂ぶりだ。バザールでは地元のおじいさんが私に近づき「おしん」と呼んだ。その理由は近代史を紐解けば理解できる。
 1925年、レザー・ハーンがパフレヴィー朝を建国し、1935年「ペルシア」から「イラン」に改称し、軍国主義、男女同権、女性の社会進出を奨励した。息子のムハンマド・レザーはミニスカートでハリウッド映画を見る西欧化を奨励する「白色革命」を起こした。不道徳になった国をイスラム教で立て直そうと、1979年に宗教指導者のホメイニ師はイラン革命を成功させ、「イラン・イスラム共和国」を建国した。その後、イラン国民はアメリカとの緊張関係やイラン・イラク戦争下での苦労も「おしん」よりマシだと感じ、ホメイニ師の追悼番組より「おしん」の放送を優先させたほど「おしん=日本人」が好きなのだ。

 イラン革命と同年の1979年に世界遺産に登録された『エスファハーンのイマーム広場』は、米国のセントラル・パーク、中国の天安門広場とともに世界三大広場のひとつ。サファヴィー朝のアッバース1世が1598年にエスファハーンに都を移し、16世紀以前に建築された旧市街の西南に、『コーラン』に描かれた楽園を表現するため、イマーム広場を中心に新市街を建設し、17世紀には『イランの真珠』と呼ばれた。
 イマーム広場の特徴は、四角い広場に宮殿やモスクを隙間なく並べた空間の取り方と、色鮮やかで緻密なタイル装飾を施した荘厳な建築物にある。特に、アッバース1世の命で完成したイマームモスクは、高さ47mの巨大なドームに4基のミナレットを供え、イスラム建築の最高傑作と称される。
 タイル装飾に注目してみよう。アケメネス朝時代は釉薬をかけて焼いた「煉瓦」を用い、15世紀のティムール朝時代に色鮮やかな「タイル」で装飾するようになり、16世紀末のサファヴィー朝アッバース1世の時代になると、青や黄色の装飾タイルのかけらを組み合わせてモザイク模様を施すようになった。アリー・ガプー宮殿は15世紀ティムール王朝の時に建てられたイラン最古の高層建築で、歴代王の嗜好に合わせて、鳥や人物の描画が施されたストゥッコ(漆喰の絵描きタイル)や陶磁器でくり抜いた装飾が使われ、タイル装飾だけを見てもヨーロッパ商人が『イマーム広場が世界の半分』と表現したことに納得がいく。(写真はいずれも2015年4月撮影)

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